treasure hunting

 

April30, Friday (sunny)

今月初旬にオークションで手に入れたライカM3用に、summaron 35mm f2.8 の中古を注文し、先週手元に届いた。
一眼レフのオートフォーカスしか知らなかった私は、フィルムの挿入方法からして根本的に異なるカメラに戸惑いながらも、憧れのカメラで写真を撮り始めていた。  シャッターを押した時の、『カッシャ』という静かな音や2回ゆっくりとレバーを巻き上げる動作などはとてもクラシックだし、鉄のような触り心地のカメラは上品で撮っているととても気持ちがよかった。

撮った写真はモノクロだったので、久しぶりに自分で現像して写真屋さんにプリントをしてもらった。  全体の写真のうち半分はちゃんと写っていたのだけど、もう半分は見事にピンボケをしていた。  考えてみるとオートフォーカスではないのだから、自分でフォーカシングする必要があったんだと今更ながら悟ってしまった。  ファインダーからはボケの範囲や程度が確認できない仕様となっているので、撮るものとの距離を考えて、レンズの被写界深度目盛りを調節しないとダメなのだ。   出来上がった写真を見ると、今まで見た事がないようなボケ方をしているものもあり面白いと思った。   

ライカなどは、持っている人がしっかり勉強して歩み寄らないと、力を発揮できないカメラだと思う。   宝の持ち腐れにならないように、カメラと良きパートナーになりたいなぁと思った。
なんとか撮れていた写真ですが、お時間が許せば是非ご覧ください。

                                                      

April29, Thursday (sunny)


母が帰国した。 スーツケースもお土産で程よく埋まり、母は“お世話になりました。 ありがとう。”と言って笑顔で帰っていった。  義理の姉と甥っ子たちはあと3週間ほどアメリカに滞在するのだけど、しばらく中国のご両親と弟さんが住むアパートで暮らすことになった。  
ここ毎日は常に甥っ子二人のケンカの声、泣き声、笑い声、誰かを呼ぶ声などが家の中に響き渡り、早朝には私の部屋に大騒ぎで入ってきて、否応無しに起こされていたりしたので、多少疲れもたまっていたのだけど、やっぱり可愛い甥っ子がいなくなってしまうと寂しくて、子供の笑い声や私の名前を呼ぶ声がしばらく頭の中から離れなかった。
この数日間は、『家』という場所が『HOME』になっていて、家自体が喜んでいたような気がした。

夕方になると、久しぶりに勧誘の人が訪ねてきた。  二人の好青年が玄関に立っており、“Hello. 今日は例えようもなく美しく晴れ渡った日ですね” と言って笑った。  若い二人にはちょっと似合わない言葉にマニュアルの匂いを感じ、何の勧誘だろうと私は少し楽しみになった。  しばらく説明を聞いているうちに、宗教の勧誘だとわかった。  私はとっさに“うちは仏教なので、他の宗教には関心がありません” と伝えると、“仏教もキリスト教も、他の唯一神宗教は同じ神ですし、聖書のコピーを無料でお渡しします”と言われた。  私はお得意のエクスキューズで、“英語がよく分らないので...”と言うと、“日本語を話せる人を呼んで説明することもできますよ。 是非勉強しませんか?” と提案された。   いつか訪ねて来たセキュリティーの勧誘での苦戦を思い出し、何とかその場でお断りをした。  彼らは宗教画と聖書のコピーを依頼する際の電話番号やHPアドレスが書かれたカードを最後に置いていってくれた。  私は若くて容姿に恵まれた彼らのような人が、デートやスポーツではなく布教活動に励んでいることに少し驚いた。   この前も、バス停でバスを待っているときに、遠くからわざわざ歩いて来てキリストについての説明をしてくれようとした男性がいた。   アメリカがクリスチャンの国なんだなぁって、実感してしまう。   せっかくなので、HPは覗いてみようと思った。

April28, Wednesday (sunny)

 

バス停で甥っこたちとバスを待っていると、インディアンのような顔立ちの背の高い男性が一人、ゆっくりと歩いてきた。   ちょっとコワモテの人だったのだけど、同じバスをしばらく待つのだし、私は“Hello”と声をかけた。  男性はかすれた声で“Hello”と答えたあと、じっと甥っ子を見ていた。   この前は別の男性なのだけど、カナヅチを片手に突然ガードレールや木などを叩きはじめる少し頭のおかしな人とバス停で一緒になり母が怯えていたこともあったので、私はちょっと警戒していた。

インディアンのような顔立ちの男性は、ふと彼の横に生えていたタンポポの綿帽子を摘んで、3歳の甥っ子に無言で渡した。  甥っ子はじっと男性を見つめて固まってしまったので、“サンキューといいなさい” と促すと、小さな声で"Thank you"と言った。   男性は少し優しい顔になって頷き、5mほど私達から離れたところでバスを待った。   しかしやがてまた男性はタンポポを探しては摘んできて、甥っ子に渡してくれた。  男性はタンポポの綿帽子を探す為に、どんどん遠くに行ってしまうのだけど、5回ほど摘んでは持ってきてくれたので、甥っ子の"Thank you"もかなり上手になった。

お礼にと5歳の甥っ子が男性にタンポポの黄色い花を渡すととても喜んでくれたのだけど、バスが来ると、その花をまた3歳の甥っ子にくれた。
彼はインディアンではなく、スリランカから7年前にきて永住している人だった。  話をしてみると無口ではあるけどとても気さくな人だとわかった。   黄色いタンポポがずっと枯れなければいいのになぁと思った。

April27, Tuesday (sunny)

甥っ子が大好きな動物園に行ってきた。  前回はパンダを一目見て帰ってきただけだったけど、今回はお弁当まで持参してゆっくり見て周ることができた。  普通の動物園とはちがって、絶滅の危機をむかえた野生動物の保護と研究をしているところでもあるためか、哺乳類と爬虫類などに分けられた屋内施設には、たくさんの珍しい動物がいて面白かった。  甥っ子もとても喜んでいたし、皆で食べるお弁当はとても美味しかった。

April25, Sunday (sunny)

 
                                                                 Annapolis           

今私が暮らしているメリーランド州の州都、Annapolisという古き歴史を思わせる美しい街に皆で行ってきた。  義理の弟の車で約50分ほどで到着したのだけれども、今まで見てきた景色ととても違った趣を持つ街でとても新鮮だった。  
ここは300年以上もメリーランドの州都であり、全米最古の州会議事堂では1784年にアメリカ独立戦争の正式な終結が調印されたところなのだそうだ。  そして全米でもエリート校とされるNaval Academy(海軍士官学校)があることでも有名な場所だった。  街は全体的にレンガ色の古くて上品な建物やお店が立ち並び、港には白いヨットがいくつも浮かんでいた。  そして白いネイビーのユニフォームを来た若者の学生たちが闊歩する姿や、のんびりとオープンテラスで食事をする観光客たちは、街を活気あるものにしていた。

母と義理の姉はこちらに来てからほぼずっと“お土産の心配”ばかりをしており、私は気の毒になっていた。  私の実家はとても田舎なので、町の人間関係がとても濃い。  お土産というのは厄介で、一人思い浮かぶとずるずると他関係者3名ほどにも買わないと角が立つというものだ。  そしてどこで線を引くかがとても難しい。  ママさん友達や甥っ子の友達までならわかるのだけど、保育園&塾の先生方や歯医者さん、そして“給食のおばさん”というところまできた時に思わず、“きゅ、給食のおばさんはいいでしょ〜” と止めに入ってしまった。  母はすかさず、“いいのよ。 アトビーの時には他の子たちとは違うメニューを作ってくれて本当にお世話になったんだから”と言った。   そして、“あー、○○さんにも本当に助けてもらったんだった。 思い出してよかったぁ!” などと言い、しばらくの間何にしようかと悩みながら選んでいた。  私が、“...さようですか”とあきらめ半分で待っていると、店の外で5歳の甥っ子が、“もう、早くして! 女の買い物には付き合いきれん”と叫んでいた。

とはいえ母も姉も選んでいるときは楽しそうで、お金もかからないよう上手に選んでいる。  一生懸命選んでいる彼女達を見ていると、お土産の基本は金額でなくて気持ちだなぁと感じる。
そして女性にとっては、喜ぶ人の顔を想像しながらお店をめぐることが、旅の愉しみの1つなのだと思う。

April24, Saturday (sunny)

 
        yummy Chinese dishes!               

今、アメリカに遊びに来ている私の義理の姉(兄嫁)はとても綺麗で、上戸彩によく似ている。  彼女は中国人なのだけど、日本語も上手になり、最近日本語検定1級を取得していた。  初めてアメリカに来た彼女は何気なく人間観察をしており、時々突然に  “アメリカホントニオモシロイネ。 ヒト、イロイロナカタチ、シテイル” とか、“アメリカフシギネ。 ドウシテ、コンナニチガウヒトタチガ、ウマクヤッテイケル?”などとと感想を話してくれるので、思わず笑ってしまうのだけど私もまた新鮮な気持ちに戻れたりもする。

彼女の弟さんが、“アメリカの大学に奨学金制度を利用して行きたいのだけどどうしたらいいのだろう” という相談をしてきたのはもう7年以上も前になると思う。  私も詳しいことはわからなかったけど、インターネットなどで調べた結果、“希望する専攻科目の有名な教授を先ずインターネットなどで調べて、個人的に履歴書や論文を郵送する”という方法があることを知らせた。  彼はそれを実行し、そして夢を現実にしてしまった。 George Washington Universityの大学院をクラスで1番の成績で卒業し、今は細胞学の研究員としてワシントンに暮らしている。  なんだかとても難しいことを、さらりとこなしてしまったかのように見えるのだけれども、その過程は想像をはるかに超える努力の積み重ねだったんだと思う。  彼を見ていると、本気で努力をすれば夢って叶うものなんだなぁ...といつも実感する。

中国のご両親が定年退職をして、彼の家に長期滞在をしており、時々食事に招待してくれる。
今日も母、義理の姉、甥っ子を含めみんなを招待してくれて、食卓は絶妙に3ヶ国語が入り混じっていた。 中国語だけがわかる人、日本語だけがわかる人、英語と中国語しかわからない人、日本語と英語しかわからない人、そして中国語と日本語しかわからない人もいた。   だけど全員結局わかりあえるのだから、言葉ってスゴイ。   そして豪華な料理もみなとても美味しかった。
  
ところで中国人はキクラゲのことを猫の耳"cat ear"とも呼ぶのだそうだ。  私は恥ずかしながらキクラゲをクラゲの一種だと信じて疑わなかったのだけど、実は『きのこ』の一種なのだと初めて知った。   漢字では、木に生えた耳のようにみえることから『木耳』、または、食感がクラゲに似ていることから『木海月』と書くのだとお勉強してしまいました。

April22, Thursday (sunny)

日本でもちょっと前まで、ビューティー何とかという、整形手術をして女性が美しく変身するという番組を毎週放送していたけど、アメリカでも最近『The Swan』という同じ趣旨の番組を毎週放送していて、私は釘付けで見てしまう。  この番組のすごいところは、毎週2名のごく普通にその辺りを歩いていそうな女性がまさに全身整形を施し、どちらがより美しく変身したかが選ばれるシステムになっており、最終的に選ばれた幾人かが美人コンテストに参加する資格を得る、というものだった。  整形美人(?)のトーナメント戦のようなイメージなのだけど...。

アジア人の整形というと、目を二重にとか、鼻を高く、というのがメジャーだと思うけど、こちらの場合は、シワやたるみを取るフェイス・リフトや、唇を厚くセクシーにすること、鼻の形を整えることや歯を人工的に綺麗にしてしまうことがメインのような気がした。  また身体に関しては豊胸とお腹の贅肉取りがお約束だった。  今週出てきた女性は昔から鷲鼻で、“魔法使い”役は何の論議もなく自分に回って来たのだと涙ながらに悩みを打ち明けていた。  それで、長い鼻を短くシンプルにしてしまった。
出てくるほとんどの女性は既に結婚していたりとか、彼氏がいたりして、彼らは彼女たちの今の容姿に満足しているのだけど、“彼女が前向きになれるのなら...”と、彼女の意思をサポートしているようだった。
徹底的に手術で形を変えてしまった彼女達の手術後の顔は腫れ上がり、とても直視できるものではないのだけど、落ち着いてくるころにドレスアップをして別人の姿でスタジオに登場する。

彼女達は手術後3ヶ月間いっさい鏡を見られないように管理されており、スタジオで初めて自分の新しい全身の姿を見る、という設定になっているのだけど、皆例外なく、“Oh my god....  I... I'm beautiful!” と歓喜していた。
正直、私はこの時点で“美しい”の基準がわからなくなっている。  確かに“垢抜けて”はいるのだけど、パーツの形をそれぞれに、理想値とされるサイズに整えているのが確認できるだけで、綺麗かどうかはわからない...という感じだった。   ただ最後に出てくるご主人やご家族と抱き合って、泣いて喜んでいる姿を見ると、きっとその気持ちが美しさを運んでくれるんだろうなぁと妙に納得してしまうのであった。     

http://www.fox.com/swan/home.htm  (音つき)

April21, Wednesday (sunny)

   
                  甥っこ                          呪いのホープ                 red diamond                剥製の復元ラボ

母と兄嫁、そして甥っこ2名がやってきた。  家の中がいっきににぎやかになり、なんだか違う生活に突入した模様...。  母以外は初めてのアメリカ滞在だったこともあり、いい想い出をたくさん作ってあげられるようお手伝いしたいと思っていたので、 昨日到着して、今日は早速自然史博物館に行ってきた。  水曜日だというのに、ものすごく混んでいた。  甥っこたちは予想どおり、昆虫が実際にいるところや、動物の骨の展示がしてあるところに夢中だった。   しかしやっぱり体内時計は正常に働いているようで、午後3時には博物館のベンチで熟睡状態だった。  隣に入れ替わり立ち代り座る外国人のおばちゃんはそんな甥っこの姿を見ると必ず“疲れたのねぇ” “眠っているの?”などと微笑んで話しかけてくれるので、“Yes. 昨日日本から到着したばかりで、まだ時差ボケが大変なんです” と答えると“それは大変”と驚いていた。
  
前回訪れた時には気がつかなかったのだけど、蜂が実際に外から飛んできて博物館の中の巣に帰ってくるように作られていて、無数の蜂とその巣がガラス越しに見られる展示があった。  甥っこは家に帰ってくるとすぐに、その蜂の巣の絵を上手に描いていて、印象に残ったのだなぁと思った。

それにしても元気な男の子2名と共に今日はとても疲れました。  明日に向けて休ませていただきます。
zzzz........

April20, Tuesday (sunny)

 
           アイスクリーム・カー                            プリッツェル・カー

日本でも遠い昔はお豆腐やさんとか、今でも秋・冬になるとラーメン屋さん、焼き芋屋さんなどが、独特の節回しやラッパなどを鳴らしてバンでやってくるけど、この辺りでもアイスの絵が描かれた車がゆっくり通り過ぎたかと思うと、“パァー!”というサイレンにも似た音を鳴らして車道脇に止まる。  すると、“この辺りにはこんなにたくさん子供がいたんだぁ...”とびっくりするほどの子供がわらわらと集まってくる。  お金を握り締めて、家から飛び出してくる子供もいた。   
確かに車社会でちょっと車を飛ばさないとアイスなどは買えない立地だし、そうやって車で来てくれたりすると尚更買いたくなるのが心情だと思う。
これにはプリッツェル版もあって、こちらは中高生に人気のようだけど、きっとこれからの季節、アイスの一人勝ちになるよねぇ...。  あっ、なんだか無性にアイスが食べたくなってきた〜!

April19, Monday (sunny)

 

春を通り越して、急に初夏がやってきたような暑さだった。  バスもモールも冷房が利き始め、黄緑色の若葉がまぶしかった。  うっかりウール地のセーターを着て外出してしまったけれど、暑さに耐え切れず半袖のシャツをモールで調達してしまった。  ひゃ〜、厚ぅ〜!

今日はまた素敵なサイトをリンクに追加させていただきました。 masaeさんの写真は、見事に“東京”の風を運んでくれます。  そこを通り過ぎる人々の気持ちや人生までをもカメラに収めてしまうセンスを持っていて、彼女の写真をみると、“その人だからこそ撮れるもの、撮れる瞬間ってあるのだろうなぁ”と思う。  是非ご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/masae/photo/

April18, Sunday (sunny)

 
             失敗ネガとリール                              う、写ってる...(涙)                      my first black & white

やらなくてはいけないけど、何らかの不安があったり、ただ単にしたくなかったりすると、私の場合なぜか掃除を始める癖がある。 掃除をしながら、なぜ億劫になってしまうんだろう...とか、やらないといつまでたっても進まないよなぁ...などと頭の整理と心の準備をしていたりする。  今回も、家が片付きいよいよすることがなくなってはじめて、現像作業に踏み切った。

最後まで準備できなかったものに赤いセーフティランプがあったのだけど、溢れるネット情報の中に、ランプに赤いセロファンをかぶせれば大丈夫だとか赤い光ならなんでもいい、という情報があり、私は赤いパーティ用の電球と、赤いセロファンを買っていた。  そして“赤い光の中ならフィルムは感光しない”と思い込んでいた...。

手順はネットで調べメモに書いてある。 必要な薬品も水に溶かしてボトルに貯蔵済みだ。  あとはタイムを管理しながら液体を出し入れするだけだ。  『できる。 できない訳が無い』と気合いを入れて、フィルムを栓抜きで開けた。  薄暗い赤い光の中、リールにフィルムを巻きつけ液体を時間どおりに出し入れした。  水洗いをし、いよいよフィルムの入ったボトルからフィルムを取り出した。 が  ... げ、撃沈...。  私の気持ちもフィルムも真っ暗闇だった。  ...何がいけなかったのだろう? と、もう一度現像方法が書かれたサイトを見てまわった。  その中に、“...もちろんリールにフィルムを巻き付ける時にも真っ暗な部屋の中で行ってください。”という一文があった。  私のようなド素人にはありがたい親切な一文だった。

もう一度、今度は$1で買ったカラーフィルムじゃなくて、モノクロのちゃんとしたフィルムで現像してみた。 真っ暗な中でリールに巻きつけるのには予想以上に時間がかかり、途中で絡んでしまったので、1/4ほどは諦めてハサミで切ってしまい作業を続けた。  必死だった。  一連の作業が終わり、再度フィルムをタンクから取り出した。  う、写ってる!  初めて物体の陰がちゃんと写りこんでいるフィルムを見た時の感動は格別だった。  昨日までできなかったことが、今日から、この一瞬から、できると言えることがとても嬉しかった。  しばらくはモノクロ写真にハマっていそうだ。 

April17, Saturday (sunny)


      メトロから見た博物館                博物館の大ホール            elevators & escalators           The Walt Disney
                                                                                                                            Concert Hall

スミソニアン博物館群の中の"National Building Museum"に行って来た。  ここは他の博物館が集まる最寄り駅とは違う駅にあり、ガイドブックにも記載されていない場合が多く、それほど混み合ってはいなかった。 “建物”に関する博物館だけあって、その博物館自体が特徴ある立派な造りとなっており、メトロからエスカレーターを上っていくとデーンと赤茶色の大きな建物がそびえ立っていた。 中に入るとその広々とした大ホールの中央に噴水があり、おばあさんが天井から陽の差すベンチでのんびりと本を読んでいた。

展示物のテーマは6個に分かれており、州や歴史によって変わってきた“アメリカの家”の設計図や写真が展示されていたり、デザイン性が斬新かつ洗練されてきているエレベーターやエスカレーターの紹介、また“折り紙”について解説している場所もあった。  よく考えると折り紙も、綿密に計算された1次元から3次元までを表現した世界であり、1つの芸術になり得るのだなぁと思った。  部屋の脇に、折り紙を自由に作るテーブルがあり、二人の姉弟が一生懸命何かを作っていた。

その他印象的だったのは、"Symphony in Steel"(鋼鉄のシンフォニー)と題された展示だった。
2003年にカリフォルニアに造られた、"The Walt Disney Concert Hall"は、鉄筋で造られた美しい曲線の重なりで設計と建築が成されており、夢を現実にしたいと設計図を描いた人達から、図面を忠実に形にしようと挑戦した技術者らが、ビデオや写真などで紹介されていた。  何か不可能と思われることに、複数の人々が協力をして挑戦することって、単純にかっこいいなぁと思ったし、そういう積み重ねがあったからこそ今があるんだよなぁ...なんて改めて思ってしまった。

この博物館のお土産屋さんは、よくありがちな他のお土産屋さんとはちょっと違って品物が豊富で面白かった。 立体パズルや理数系思考ゲーム、インテリア・建築関係の本やおしゃれなインテリアのミニチュア版、それに折り紙本や手作り小物などもあった。  その中には私の生まれ故郷で手先の器用なおばちゃんがよく作ってくれた小箱もあり$30で売られていた。  彼女に伝えたらきっと喜ぶだろうなぁと思った。

April16, Friday (sunny)

巷でcicada(セミ)の噂が広まっている。  なんでも17年毎に大発生するセミが12種類ほどおり、そのうちの1種類がワシントンD.C.近郊に生息しているとのこと。  前回大発生したのが1987年だったので、なんと今年の5月か6月にまたその時期を迎えるのだそうだ。  ヒッチコックに『鳥』という映画があったが、それのセミ版ということになろう。

何が怖いって、地面に17年間眠っていた幼虫が、ある日急にいっせいに地面から這い出してくるらしく、地面のいたるところがボコボコと動きだすのだそうだ。  昨日何も無かった裏庭が、翌日には赤〜い目をしたセミで埋め尽くされ、街中に鳴き声が響きわたるらしい...。  土の温度が64℃を越すと動き出すのだそうだ。

セミの一生は2〜4週間しかない。  地面から出てきた幼虫は木に向かって動き出し、先ずは脱皮をする。 そして100デシベルの鳴き声でメスにアピールをし、やがてメスのセミたちは一匹平均で約600個の卵を小枝に産みつけるのだそうだ。  そして6〜8週間ほど経つと卵は孵化して幼虫になり、自然に地面に落ちていき、自分で土の中に潜り、木の根を栄養分として17年をかけて成長する...  自然のサイクルってつくづくすごいなぁと思う。

生物学博士のClay氏は、このセミたちは決して人間を襲ったりしないし害はないのだと書いていた。  ただ人のシャツの中に入ってきたり、人や車のフロントガラスにバシバシぶつかってきたりして、かなり“ドジ”なんだそうだ。
そりゃセミだって17年をかけてやっと自由になれる数週間。  気が動転してパニックになるのも仕方がないよねぇ。  2021年に産まれてくる子孫の為に...。

http://www.usatoday.com/life/2004-04-11-cicadas_x.htm

 

April15, Thursday (sunny)

久々に快晴、バスの運転手も比較的大きな声で鼻歌を歌っていた。 相当ノッっていて体がスウィングしており、バスもそれに合わせて左右に揺れていた。 

関西に住んでいるおばちゃんというのは、バッグに“みかん”をいつも入れていると聞いたことがある。 五木ひろしショーなどにいくと、座席で周りの知人や知らない人にまでそのみかんを配ってくれるのだそうだ。  それに対して東京のおばちゃんは“飴”をバッグに携帯しているイメージがある。
それはさておき、こちらでは“バナナ”をバックからスッと出し、おもむろに食べだす人が多くて少し驚いた。  それはバスから見下ろした時に見える、横を走る車の運転手だったり、クラスメイトだったり、道で信号待ちをしている人だったりする。 
今日もバス停でバスを待っているときに後から来た女性がいた。
“エクスキューズミィ、バスの時刻表持ってますか?”
“何番のバス用ですか?” 
“55番よ。 ...もう行っちゃったかしら?”
私は55番の時刻表の紙を女性に渡したのだけど、彼女はバスを逃したことを知りガッカリしていた。 
そしてそこで彼女のバックから登場したのも一本の“バナナ”だった。

私もバナナをバッグに携帯し、おもむろに取り出して食べていたらちょっとは馴染んで見られるのかな?!

April14, Wednesday (raining)

   
             バスからの風景                                       図書館                                 $1カメラとフィルム

今日は図書館に行き英語の勉強をした。  私は家では勉強とか読書ができない癖がついてしまっているのだけど、それがコーヒーショップだとか乗り物の中、あるいは図書館などへ場所が変わると初めて“勉強しよう”という意欲が出てくるから、自分でもちょっと厄介だ。  図書館ではパスポートと、住所が書かれた私宛の手紙を見せるとすぐにカードを作ってくれ、ネットも自由に使えるようになり嬉しかった。

モノクロフィルムの現像方法が書かれた本を借り、食物の買出しをしてから"$1 shop"に寄った。 アメリカ版100円ショップも日本と同じような品揃えでとても助かる。  そしてほとんどの製品がmade in Chinaというところも同じだと思うのだけど、品物のデザインがアメリカ人好みになっているところが面白いなぁと思った。  色使いや柄が、日本はカラフル&パステル調なのに対して、こちらの色味はなんだかシブいし、柄も一般的な家の雰囲気に合ったものが多い気がする。
  
今日はここで$1のカメラとフィルムを買った。 現像になかなか踏み切れない理由に、カメラにフィルムがまだ残っているということのほかに、失敗した時にせっかく撮った写真が台無しになってしまうことが怖かった。  でも$1のフィルムで撮った練習用の写真なら、気も相当楽になりそうだ。
カラーフィルムなので、モノクロ用の現像処理をしたらセピア色になってしまうけど...

April13, Tuesday (raining)


             deer!                                                                      rainbow                       sunset

パソコンを打ちながらふと窓から外を見たら何かが動いた気がした。 し、鹿だ! まだそんなに大きくない鹿が2匹ゆっくり歩いているのが見えて、私は思わず窓にかじりついた。  そのうち一匹は振り返り、私の方をしばらく見ていたが、飽きたのかゆっくりと林に消えてしまった。 とても可愛くて、時々また、必ずきっと、遊びに来てほしいなぁと思った。
でも不思議なのは、うすい林のすぐ奥は、中学校のグラウンドになっていて、鹿のような野生動物が住む環境立地ではないことだった。  川沿いに本当にうすい林が縦に連なっていているのだけど、その先に森林があるとは思えないのだけど…。   こんど散策してみようかな。

夕方まで強い雨が降っていたけど、夜7時くらいから小雨になり、空が急にオレンジ色になってきた。 “わぁ、狐の嫁入りぃ…”と思い、窓を開けるとオレンジ色の空とは反対側の方角に大きな虹がかかっていた。 その周りの空は、紫とも水色ともピンクともいえる色に染まり、とても美しかった。

April12, Monday (raining)


            購入した現像グッズ

今日は朝から雨。 天気予報によると明日は雷も鳴るらしく、ここ3日間くらいは雨模様とのこと...
そういえば昔ホームステイ先のおばあさんが、車で雨の中を学校まで送ってくれるときに、“April shower brings May flower” というきれいな言葉を教えてくれたことを思い出した。  こちらもまだまだ寒いけど、一雨一雨ごとに温かくなってくるのだろうなぁと思う。

しばらく外に出られないなぁと思い、今日は無理して夕方からバスに乗り、写真の現像用の道具を買いに行った。  ネットで住所を調べ、"Shady Grove Hospital"の前に行きたい店があることがわかったので、そのホスピタルを通過するバスに乗り換えたのだけど、雨のためかバスは時間どおりには来ず、結局トータルで30分ほど待つ形になり、私は寒さで死にそうだった。  

1つのバス停で降りる途中の人が、『カァーッ、ペッ!』と唾を吐く音がした。  運転手は勘違いをして、一番後ろに座っているアフロヘアーの少年に、“バスの中で唾を吐かないでください!”と言った。  皆が振り返ったところで少年は“ぼ、僕じゃないよぉ!” と困っていた。  ...可哀想に...と思いつつ、20分ほどバスに乗り、病院らしきところで運転手に“ここはShady Grove Hospitalですか?” と聞いてみた。 するとそこで降りようとしていたあの少年が、“そうだよ。 病院にいきたいの?” と尋ねてきたので、“病院の前にあるRitz Cameraというお店に行きたいんです”と答えた。  少年は、“わかった、こっちだよ”と言って、雨の中カメラ屋さんがある場所まで連れて行ってくれようとした。 “ありがとう。 とても親切だね” と言うと、“ここは僕の家のすぐ近くで、庭みたいなものだからね”と笑っていた。 私が寒さで震えていると、“寒いの? 僕はサウスダコタから来たから、寒いの全然平気なんだ”と言った。  少年は傘を持っていなかったので私の傘に一緒に入り、横断歩道を走って渡ったところにくると、いろいろなお店が連なるにぎやかな場所にでた。 その一角にあるレストランの窓から彼の名を呼ぶ女性がいた。 バイトに行く途中だったのだろう。  少年は、“この女性を助けているところなんだよ! 今行くから待ってて!” と叫び、“ほら、あれがRitz Cameraだよ”と、遠くに見えるお店を指差した。  私が“ほんとうにどうもありがとう!”と言うと、“OK!”と言ってレストランに向かって走っていった。

私の身体はとても寒かったけど、少年のおかげで気持ちはとても温かかった。

April11, Sunday (raining→cloudy)

今日リンク先に、あたらしく『旅行写真術』というHPを追加させていただいた。
こちらの写真に魅せられて、憧れのライカ購入へ踏み切ることができました。
カメラのコレクションの他に、写真を撮るときのアドバイス、そして素敵な写真がたくさんアップされていますので、是非訪ねてみてください!

http://www.page.sannet.ne.jp/verygood/index.htm

April10, Saturday (sunny)

     

今日は久々にスミソニアンの中の『Arthur M. Sackler Gallery』に行って来た。
アジアの美術品を展示している美術館で、漆器や絹布、絵画や彫刻、掛け軸などが数多く展示されていた。  特に"Return of the Buddha"展を催していて、数々の仏像が展示されていた。 主に中国やタイのものが多く、座っているものよりも立っている仏像が多かった。 遺跡ということで、腕がないものや顔だけのもの、または逆に顔だけが無いものなどもあったが、優しくほほえんでいる姿はみな美しく、気持ちを癒してくれた。 館内はとても混んでいて、中国人らしき女性が英語でのガイドをしていた。 彼女の英語はたどたどしかったが一生懸命説明しており、最後には拍手喝さいだった。 説明の間は皆真剣に聞いていて、“仏像はほとんど"He"で表現されますが、ほんとうは男女の性別はないんですよね?”“この仏像はいつ頃どこで造られたんですか?”などと質問が飛んでいた。  そして仏像の優しい表情を見ている人たちの表情もみな穏やかだった。  

もう一つ印象的だったのは、漢字についての展示だった。 漢字のルーツの説明書きがされている場所があったのだけど、その中に興味深い記載があった。  1971年に、アメリカでアルファベットを読むことが困難な児童8人を集め、30の漢字を見せそれぞれの英語の発音を教えたところ、生徒達はすぐに漢字を覚え、英語で意味を言えたとのこと。  そしてその時には、右脳と左脳両方が活発に動いていたということがわかった、というものだった。
象形文字の意義をよく表した研究結果だと思う。

桜祭りと、日米和親条約150周年を記念して、3月から4月いっぱいまでこの美術館ではオズ ヤスジロウ監督の古き良き日本映画を上映している。  今日は何もない日だったけど、金曜日には"The flavor of green tea over rice(これって“お茶漬けの香り”って意味かな...?)という映画が上映される予定なので、是非観に来たいと思った。

April9, Friday (sunny)

     
                                                        My first Leica M3!

つい最近まで、今度カメラを買うとしたらニコンの最新一眼レフデジカメのD70を購入したいと思っていたのだけど、ネットサーフィン中に出会った素敵な写真が掲載されているHPに度々お邪魔しているうちに、すっかりアナログカメラに魅了されてしまった。  ニコンF2photomicかライカM3が欲しくて、ここしばらくはオークションとにらめっこしていたのだけど、一番欲しかったライカに関してはアメリカで購入する方が破格に安く出展も多いことがわかった。  日本のオークションでライカM3はほとんどお目にかかれず、出会えたとしても相当高額だった。  そして今朝落札に成功し、私はとても興奮していた。  円高傾向にも改めて感謝してしまった。  出展者が私の家からバスで1時間くらいのところに住んでいる人だったので、最寄り駅まで取りに行くことにした。

バスをちょっと手前で降りて銀行でお金をおろし、マクドナルドの前で携帯から電話をして、そこまで車で来てもらうことになった。  フランクさんはオークションでも99.5%の良い評価を積んできており、実際会っても親切な人だった。  お金とカメラを交換する時には、なんだか“怪しいブツの取引”をしているような錯覚に陥ってしまったが、無事お金を数え終わると、彼はライカ専門のバイヤーおよびセラーであるだけではなく、彼自身がフォトグラファーだと教えてくれた。  今回は本体だけの購入だったので、合うレンズも見つけなくてはならない。  フランクさんも探しておいてくれると約束してくれた。

握手をして別れ、私はブツを大事に抱えて帰宅した。 
このライカと共に、私はこれからどんな人や景色に出会え、どんな写真を撮るのだろう... 

April8, Thursday (sunny)

     
                               毎日報じられるイラク関連の記事

テレビのニュースやラジオ、新聞などで毎日イラク関連についての悲報、情報が取り上げられており、毎日当然のように、アメリカ人が何人殺されたということを伝えている。  同じようにイラクの人々もおそらく何倍かの数字で亡くなっているんだと思う。  つい最近も、アメリカ人があまりにひどい方法で殺されたために、メディアが写真掲載を控えたということがあった。  ...そして今日、とうとう日本人が捕らえられ、自衛隊撤退という条件をのまないと生きたまま焼き殺す、という脅迫が現実となってしまった。

これはこちらでも大きく報じられ、イラクの反撃が無差別で広範囲、そして残虐になってきていることを伝えていた。  確かにちょっとこれまでの戦争と様子が違ってきているような気がするのは私だけではないと思う。  アメリカはどこに行こうとしているのか... ブッシュ大統領は本当に利口な人なのか... 何の為の戦いなのか...  釈然としない気持ちでいっぱいになる。  
イラクの状況が画面に映し出される。  火で覆われた街、血まみれでぐったりしている子供、医者のいない病院、敵の死に喜び狂う一般人...

“世界の警察”や“正義”を自称するのなら、武器の製造のかわりに必要なものがあると思う。  テロ撲滅をうたってはいても、これまでと同じく政治戦略戦争と何ら変わらなくなっているような気がする。  果たしてこの戦争に日本が協力する価値が本当にあるのだろうか...?  攻撃で人を征することなんて絶対にできないと思う。

そしてそんなことをこのアメリカで考えてしまうことがすごく哀しい。
                      

April7, Wednesday (sunny)

             
                        省エネに有効な蛍光灯バルブ

先週、こちらに来て2度目の電気料請求書が届き、その高額な料金に驚いていた。 2月4日〜3月17日までの分で$87だったのだけど、その期間の約3週間は日本に帰国していたので、実際この家で電気を使っていたのは17日間だけだったからだ。  しかもその前月の料金は、同じように17日間電気を使っていたのに$35だった。  メーターの読み間違い?!

でもよく考えると、確かに相当電気を消費した生活を送っていると思う。 ガスは全く設備に入っていないので、ガスレンジの代わりに電気でコイルが熱くなるしくみのコンロになっているし、給湯、洗濯機および乾燥機、ヒーターに電子レンジ、冷蔵庫などはもちろん、照明もすべて節電に有効な蛍光灯ではなく、発熱による光を利用した白熱電球を使っている。  アメリカの家のほとんどは同じような設計になっており、照明についてもオレンジ色の発色の白熱電球を好んで選択していると思う。  でも最近は蛍光灯バルブがよく売れてきているそうだ。 もともとの照明器具からはみ出してしまうところがちょっとイケてないけど。

そして今日電力会社PEPCOからまた手紙が来ていた。 以前の住人から名義を変更しただけだったので、電力会社はPEPCOだけだと思っていたのだけど、実際はいくつかある中から消費者が選んでいるのだとわかった。 手紙の内容は、電気を発電する為の資源の値上がりにより電気料をこれまでと同じに維持するのは実質大変で、平均値で年16%($13.69/月平均)値上げする見込みがあるが、企業努力で負担を軽減する意向だということが書かれていた。  
確かに過去4年間での電力資源の値上がりは目を見張るものがあった。 天然ガス46%、石油70%、ガソリン60%、石炭にいたっては82%と記載されていた。  これは資源の供給が明らかに底をついてきていることをあらわしていると思う。   本当は電気料などの心配より、資源とどう付き合っていくかを急いで考えないといけないと思う。 

だからといって原子力発電に逃げてもいけないと思ったのは、私のHPのLink先にも載せさせていただいているMamiさんのHPで、日本の浜岡原発についてのメッセージを丁度読ませていただいたところだったからだった。  以前に勤めていた会社の上司(女性)も反対デモに参加していた。  危機感を持っている人はずっと前から動いているんだと思う。  原子力発電所保有数は今もアメリカが103基で1位、ドイツを挟んで日本が3位だと思う。 これから中国が一挙に莫大な電力を必要とするとも言われている。  アメリカも原発の建設を控えるとは言いたいものの、消費に電力が追いつかないのが実情なんだと思う。
省エネと節約にもっと力を入れればいいのに... 

ベストセラーになった、『世界が100人の村だったら』に、“すべてのエネルギーのうち20人が80%を、残りの80人が20%を分け合って使っています”と書いてある。  20人がこのまま大量消費をし続け、果ては危険な原子力に頼る未来を作ってしまっては絶対にいけないと思う。

 是非ご一読を... http://www.stop-hamaoka.com/
http://www.stop-hamaoka.com/english/english.html
                      

April6, Tuesday (sunny)


                                                              beautiful dress...

ショーウィンドウに綺麗なドレスが目立つようになってきて、“あぁ、もうすぐプロムの季節なんだなぁ”と気がついた。 アメリカでは5月後半から6月にかけて高校生の卒業パーティーが夕方からオールナイトで行われ、私がアメリカで一番羨ましく思う習慣だ。  その夜ばかりは女子は美しいドレス、男子はタキシードを装い、学校のカフェテリアや体育館、豪華なところではホテルに場所をとって、食事やダンスパーティーが行われる。  
ステディなカップルはもちろんお互いを誘い合い、記念写真などを撮るのだけど、一番綺麗な姿で最高の笑顔で頬を寄せ合って撮られた写真は、“青春の想い出”そのものとして一生残るのだろうなぁと思う。 たとえ長い人生のうちにパートナーが変わろうと、プロムの相手だけは心の中の特別なところにいるような気がする。

州によっても違うのかもしれないけど、アメリカでは16歳で車の免許が取れ、車で通学する高校生が多い。 また、選挙では18歳から投票ができ、徴兵にも志願できるという。 (なぜか飲酒だけは21歳からだけど) 女子は16歳の時に“sweet sixteen”といって少女から女性へのステップの意味を込めて、家に友達を呼んでパーティーを行ったりもしていて、アメリカの高校生は外見が大人びているだけではなく、ある程度“責任が自分で持てる人”として認識されているように思う。  だからプロムのオールナイトということも、親にとっては自分の娘・息子がそれぞれのパートナーと一晩中一緒なんだってことも承知の上で送り出せるし、変な心配をしないところがオープンでいいなぁと思う。  女性としては大好きな彼と、十代の一番フレッシュな時に美しいドレスをまとってパーティーにいけるという文化がとても羨ましい。

私も17歳の時に4月から一年間ミシガン州の公立高校に通ったのだけど、5月に近づくにつれてクラスメートの話題に“プロム”という言葉がよく聞かれるようになった。 “ジョンはリサを誘ったのよ” “ドレスを買いに一緒に行かない?” “クリスは誰を誘うんだろう?!” など、人のこと、自分のこと、自分の好きな人のことなどで話題が盛り上がり、半端ではない気合の入れようを感じた。 プラムというものを知らず、ましてや彼などいるわけもなかった私のような人はどうするのか...?  私はまもなく、“誘われるのを待つ、もしくは自分から誘う”というシンプルかつ残酷なルールを知った。  まあ私は2年生だったからまだよかったけど、3年生にとっては一応“卒業パーティ”なので、出席率は100%に近いらしい。  “nerd”と呼ばれてしまうようなオタク系の男子や、引込み思案、または勤勉な女子などはどうするのだ! と思うのだが、まあ友達同士で楽しんでいればいいようだった。 実際友達と騒いでいる学生の方が多かったのが嬉しかった。  

私の場合は間際になって、ホームステイ先のおじいさんが、“Yoshino、隣町に日本人のボーイがいるらしいぞ。 調整してやろうか?” と言ってきた。  私の通っていた学校には日本人が全くいなかったので、そういう意味で日本人と会えることが嬉しくて、お願いしてしまった。  ...結果は?...  その少年は空き缶にウィスキーを隠し入れてくるような変な奴だった。  話すこともちょっと意味不明で怖かった。 この人と一晩パーティー会場にいるのは苦痛以外の何物でもなく、私はトイレで泣いてしまい友人がおじいさんに電話をしてくれて迎えに来てもらうという、最悪の情けない結果に終わってしまった。

でも今ではこれも青春の想い出... 各クラスメイトのお姫様のような女子たちと笑顔で写っている写真だけが残っている。   そして改めてあの時パートナーを調達してくれたおじいちゃんの気持ちに、感謝の思いでいっぱいになる。

April5, Monday (sunny)


    clever goods

髪の毛が伸びてきた。 後ろは別にいいのだけど前髪が目にかかって気になる。 こちらの美容室に行く勇気が無いのは、ワシントン在住の日本人が利用するホームページの掲示板をみたりすると、一様に“日本の美容業界に比べて質が低い”という内容だからだ。  ハサミを縦に使うことを知らないとか、日本人だと皆おかっぱ(ボブ)にされてしまうとか、人によってはビダル・サスーンなど日本で名の知れた店に足をはこんだのだが、普通のカットで$70〜$100してがっかり、などと書かれていたりした。

私の妹は、私が一番お気に入りの美容師なので、メールで“自分で上手に前髪を切る方法”を聞いてみた。  いつも彼女は前髪をすいてくれて自然に軽く見せてくれた。  メールの返事には、“自然に落ちるところで乾いた状態でハサミを入れるといいです。(なるべく引っ張らない) 最初2ミリ位長めに切っておいてから重い所だけ縦にハサミを入れるといいと思います。以上。”と書かれており、その通りにやってみた。  ...うーん、我ながら上出来。  妹よ、ありがとう!

あるお店で子供用のおもちゃを見つけた。 私に子供がいたら“即買い”の学習用おもちゃで、3歳〜5歳くらいの子にいいと思う。  それはいろいろな種類の鍵の開け方、ボタンのはめ方、靴ひもの縛り方などが練習できるようになっていた。  日本にももしかしてあるのかな...?

April4, Sunday (sunny→cloudy)


    いつもゴミがあるバス停

今日からサマータイムということで、時計を一時間進めた。 そのせいかあっという間に一日が終わってしまったような気がする。  それに、今まではだいたい夕方6:00くらいになると暗くなっていたのに、7:00頃にやっと暗くなってくるので、新しい季節を急に迎えたような感覚だった。

雪が降っている時には隠れていて気がつかなかった、地面に半分埋まっている空き缶やゴミが、至るところで目立つようになってきた。  平気でお菓子の袋や空き缶を捨てる子供や若者が多いなぁと最近実感する。  一旦捨てられると、“拾う人”はいないと思ったほうがいいようで、何週間も同じゴミが同じ場所に落ちている。  特に人の敷地となると、拾いたくても怪しいもしくは危険な人間と思われて銃など出される確立も全く無いとはいえないのが怖いところだと思う。 
私が住んでいるところはタウンハウスなので、同じような設計・デザインの家がつながって立てられ、裏庭は柵が無いので、芝生が全体に生えている共有スペースとなっている。  庭の奥にはちょっとした林があって小川が流れているのだけど、その林や小川もゴミでいっぱいなことがずっと気になっていた。

バスで景色を眺めていると、“家”が住んでいる人を正直にあらわしてしまうことを実感する。  それは家の豪華さには全く関係なく、例えばブラインドウが壊れていたり、ゴミが周りに散乱していたり、庭の花が枯れまくっていたりする。  反対に、とてもシンプルで小さな家でもきれいに窓が拭かれ、夕方になると外灯が点き、季節のイベントに合わせたデコレーションを施し、花が手入れされて庭に植えられていたりすると“どんな素敵な人が住んでいるのだろう...”と、なぜか幸せな気持ちになってしまう。  きれいな環境に暮らすということは、きっと住んでいる人の気持ちをもきれいに、穏やかにしてしまうと思う。

夕方、意を決して裏庭も含め、家から半径50mくらいまでのゴミを拾ってみた。  ビニール袋を持ち、帽子をちょっと深めにかぶって急いで済ませてしまった。  悪いことをしているとは思わないけど、アメリカで“拾う”という行為がどういう印象を与えるものなのかがわからないので、自然と慎重になってしまう。
でもとてもきれいになり、すごく気分が良かった。  一番汚いバス停周辺までゴミ袋を持って行ってしまいそうな自分が、今はちょっと怖い。

April3, Saturday (cloudy→sunny)

   
   very crowded train               blooming flower               dog playing frisbee              the soaked dog

火曜日に桜並木を観にD.C.まででかけたけど、今日は12時15分から武蔵丸がゲスト出演するというので再度出かけてみた。  だけど予想以上の混雑で、電車の切符購入の際にしばらく待ち、電車の乗り換えの際にも満員電車になってしまい1〜2本見送ったため、到着したのは1時を過ぎていた。  武蔵丸はもはや諦め、のんびり歩くことにした。 

途中、男の人が愛犬とフリスビーで遊んでいた。 愛犬はとても賢く、飼い主の男性が投げるそぶりをすると走り出し、落ちてくるフリスビーを上手にキャッチして戻ってきた。 “うまいなぁ”と感心していたのは私だけではなく、その光景は人の足を止め幾人かのギャラリーを集めていた。 飼い主はそれが嬉しかったのか、やめるにやめられなかったのかは不明だが、私が心配になるまで何度も何度も犬にフリスビーをキャッチさせていた。  “犬も疲れるだろうに...”と思っていると、フリスビーを口に加えた犬が飼い主のところには戻らずこちらにやってきた。 と思ったら、私をも通り過ぎて、桜並木沿いに流れるTidal湾に飛び込んでしまった。  飼い主も見ていた人たちも焦って水辺に集まり覗き込んでみると、犬はフリスビーをくわえたまま、ばつが悪そうに隅っこを泳いでいた。  飼い主は首輪をつかみ水面から愛犬を引っ張りだし笑っていた。  見ていた人も私も笑ってしまったけど、なんだか物言えぬ、忠実な犬ができた最大限の抵抗のように思えて心から気の毒だった。

ところで桜が日本から贈られた経緯は、エリザ・シドモアという女性通信記者の影響が大きかったということをHPで知った。  1884年に初めて来日した彼女は、日本と日本人をこよなく愛し3年間日本で本を書きながら暮らしていた。  その時に“桜の美しさ”に魅せられ、この美しい花が母国アメリカに植樹できればどんなにか素晴らしいことだろうと願った。  人脈の広い彼女は、当時のアメリカ大統領夫人にその気持ちを伝えたことがきっかけで、ポトマック河畔に桜を植樹する計画ができあがった。
時を同じくして、当時ニューヨークに在住していた高峰譲吉博士も“桜の木をアメリカに植樹する”ことを願っていた。 彼は大統領夫人の計画をニュースで知り、それを当時の東京市長、尾崎行雄氏に伝えたとのこと。 その後1909年(明治42年)6月にニューヨーク駐在の水野総領事は当時の 外務大臣小村寿太郎に書簡を送り、日米親善のために東京都が贈り主となることを促し、桜移植計画は外交ルートにのったとのことだった。

エリザ女史はその後、69歳でワシントンを去りスイスのジュネーブに移住したとのこと。 その理由は米国会議が「排日移民制限法」を通過させたことに激怒したためと伝えられている。 
1928年に72歳で死去し、1929年には横浜外人墓地にある彼女のお兄さんの墓所にて納骨式が行われ、彼女への弔辞が読まれたとのことだった。 そしてその墓所の背後にはワシントンから里帰りした桜の苗木が4本1991年に植えられたとのことだった。
  
その桜の木が13年経った今どれだけ大きくなっているのか、帰国したら是非見に行きたいなと思った。

http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/sakura.htm
 

April2, Friday (raining)

   
雨が続く... 明日の桜祭りには武蔵丸も登場だというのに、晴れてくれないかなぁ。  

失恋をすると、働き者になる人は少なくないと思う。 自分を邪険にした憎っくき相手のことを悲しいかな思い出してしまうのが辛くて、普段は仕事が嫌いな人も“働く”という状況が『お金』と『別のことに集中している自分』という二つの利点を運び込んでくれることに気付き、気がつくとまた自分らしさを取り戻しているというようなこと...。
私も遠い昔、逃げ場を麻布にある“写真スタジオ”に求めてスタジオマンとして働いたことがあった。  これまで写真にはあまり興味をもっていなかったし、今思うと何故写真スタジオだったんだろうって思うのだけど、そこでの泊り込みも多々あるような長時間労働と、プロカメラマンの重たいジェラルミンケースを5階のスタジオまで全速力で階段を駆けあがらなくてはならない(この場合エレベーターでくるカメラマンより早く着いていなくてはいけない)ような、サディズム的要素を持つ仕事は、傷心を癒してくれただけでなく、“初めての自分のカメラ”や写真を撮るという初めての趣味、そして楽しい仲間もはこんでくれた。  そこで働く仲間というのはまさにカメラオタクみたいな人が多く、カメラをたくさん持ち、自分で撮りにいき、自分で現像しては勉強していた。  上手く現像と焼きこみができたモノクロ写真があると、皆で評価をしあった。

私も自分でモノクロ写真を撮って現像と焼きこみをしてみたいなぁ...とずっとどこかで思っていたのだけど、せずに今まで来ていた。  今日はネットで方法を調べているうちに、モノクロ写真を扱った他の人のサイトにハマってしまったりしてその魅力をあらためて感じた。  今度こそ現像と焼きこみに挑戦したい。

April1, Thursday (raining)

   
   Nafise, Calros, Friederike,and teacher

英語のイブニング・クラスに通い始めて早くも4週間が経ってしまった。 今日が最後の授業だったのだけど、クラスメイトも先生もフレンドリーで、国籍もまちまちだったため各国の情報などが聞けて、通ってよかったなぁと思う。  ただ先生の冗談は最後まで面白さがわからず、“笑いのツボ”がアメリカと日本では全然違うんだなと実感した。 口癖は『ごめんね、僕はM-TV世代だから...』だった。  そういえば今M-TVが全く放送されなくなってしまったけど、何故なんだろう...?

クラスでは、米マクドナルドが特例を除いて全店で今年中に“スーパーサイズ”を無くし、変わりに野菜や果物など健康的なメニューを増やすということや、ワシントンの水道水に鉛が含まれている問題についてなどタイムリーなトピックだったのが嬉しかった。  単語もこうやって“人”を通して教わると、本で見て暗記をするより覚えやすい気がする。  というより本で覚えようという気力が私の場合なかなか生まれてこないのが問題なので、できればまたいつか英語を習いにいきたいなぁと思った。

メールアドレスを交換して、カルロスが行きつけの、フラメンコを見ながら飲めるバーにみんなで行こうという約束を最後にメトロで別れた。