treasure hunting

 

September30, Thursday (sunny)


      頭に荷物は南国特有の風習?

沖縄を歩いていると、稀に頭の上に荷物を乗せて歩く人を見かけることがある。
バリ島に行ったときには、女性は当たり前にフルーツなどを盛ったタライを頭上に乗せて歩き、見ているほうもそれが普通だと思っていた。   けれど、この日本で日本人が頭上に荷物を乗せて、器用に歩く姿は、私にとって結構ショッキングな光景だった。    頭の上の荷物が、“紙袋”だったこともあるし、おばちゃんが道路を直角に上手に左折したことも驚きだった。

やったことがないからわからないのだけど、荷物というのは手に持つより、頭の上に置いてしまったほうが、楽なのだろうか?
そしてその発想の起源を辿ったら、どこの国や民族に行き着くのだろう?    
そして何より、この光景は沖縄ではフツーのことなのだろうか...?

September29, Wednesday (sunny)

 
     マイブーム 豆乳          砂糖入り豆乳はムリです


健康&美容ブームのさなか、最近豆乳を毎日飲んでいる。  
今までは、豆乳の存在は知っていたけど、その名前の放つイメージに怖気づいてしまい手を出せなかった。  なんとなく、豆乳という漢字から、すごくコッテリした奇怪な味の牛乳を想像してしまっていた。
けれど最初に手に取った、“TOPVALU”という銘柄の豆乳は、意外にも飲み易く美味しくてラッキーだった。   最初に飲んだ豆乳がこれでよかったって心から思う。    なぜなら、他の銘柄の豆乳を後から飲んでみて、その壮絶な味にショックを受けたからだ。   豆乳ほど銘柄によって味が異なる飲み物は無いと悟った。    砂糖入り豆乳に至っては、身体の奥から『ウェ〜、参りました』と呻いてしまうほどに私的にはムリな味だった。

最近はいくつか試した挙句に、やっぱり“TOPVALU”の豆乳しか飲めないことが自分で判り買いに行くのだけど、私と同じ味覚の人は多いようで、7割くらいの確立で売り切れ状態となっている。   他のメーカーの豆乳はいくつも余っているのに、“TOPVALU”の豆乳の棚だけが、ガランと空いてしまっているのだ。     私はその都度ガックンと落ち込み家路につく。
“TOPVALU”というのは、ジャスコ系列のスーパー独自のブランドで、ジャスコやMAX VALUEなどの系列店でしか売っていないので、ちょっとコンビニで...というわけには行かないのが辛い。

かくして今日も、争奪戦さながら、ドキドキしながら豆乳を買いにいくのであった。

September26, Sunday (stormy)


        昔ながらの琉球風家屋               昔ながらの琉球風家屋                    和風な内装建築

       
 現在一般的と思われる沖縄風建築   屋上に貯水タンク  鉄筋コンクリートは暴風雨から家を守る               


昨夜から台風がまたやってきた。  だけど前回の18号の時も今回も、家にいると台風ということを忘れてしまうほどに、その気配を感じない。  これも住居が鉄筋コンクリートでできていて、窓も防音ガラスでできているからなのだろうと思う。   
沖縄の家屋は、1960年代に台風でひどい被害を被ってからというもの、鉄筋コンクリートでの建築が急増したのだそうだ。   そして街を歩いていると、一階は駐車場となっていて、最上階の上には屋根の変わりに屋上がある家が多いことに気付く。  おそらく台風の時の床下浸水を防ぐ利点と、屋上を平らなコンクリートにすることによって屋根の崩壊を防ぐ利点があるのだと思う。  そしてその屋上には洗濯物が干され、ほとんどの家に貯水タンクが設置されていた。    雨が減り、炎天下が続く非常時には、オキナーンチュの人々を救ってくれるのだろう。

炎天下だったり、暴風雨だったり、自然の影響を大いに受けて暮らす沖縄の人々は、経験と知恵で安全な家を遂には手にいれたのだなぁ...と、しみじみ思う。

でも昔ながらの風情ある建築を愛する人も少なくないようで、赤と白の瓦屋根や、屋根や門に佇むシーサーの姿を見かけることができ、本当に稀に、昔そのままの家を維持している家もある。   私はそんな家を見つけると、少しでもいいからお邪魔して、おばぁの昔ばなしを聞いてみたいという衝動に駆られてしまう。

September23, Thursday (sunny)

 
  海軍戦没者慰霊之塔  旧海軍司令部壕 入り口      壕内通路は兵士達の睡眠所にもなった          司令官室

  
       壕を掘った道具        心もとない武器  幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあと  壕を出てすぐに見える風景


今住んでいる場所から10分ほど歩くと、『旧海軍司令部壕』とそれを囲む形で、大きな海軍壕公園がある。
この壕というのは、沖縄戦の時に米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、当時4,000人の兵士が収容されていたのだそうだ。    
 
沖縄戦は日本では唯一の地上戦であり、それは民間人を大きく巻き込んだ悲惨な戦いとなってしまった。    想像してみると信じがたい状況だったと思う。   昨日まで普通の生活をしていたのに、急にいや応なしに人を殺さなくてはならない、さもなければ殺されてしまうという状況になってしまうのだ。   もちろん武器といえる武器はなく、木と針金で手作りの槍を作って、何百万発と用意された砲弾に向かっていく現実...。   
    
そんな状況の中で、木槌のみで450mもの迷路のような堀を作ったのも、アメリカ軍と戦うのには兵力が不足していた日本軍が、兵力を調達するまでの時間稼ぎの手段として作らせたものだった。    こういう過程を知ってしまうと、沖縄という場所に、“スケイプ・ゴート” だとか、“日本の盾” という言葉を連想してしまう。    “大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり” と、敗戦を恥じて自決していった司令官や幹部の人達、兵士、看護婦、そして一般の沖縄の人々が少なくなかったことも戦争のやりきれなさを増している。
同時に一方で、米軍にとっては沖縄の位置が、アジアを管理する上で大いに魅力的だったことが、攻撃の大きな要因だったともいえるのだから、戦争がいかに大きな国に利用された、根の深い闇なのかと感じる。

この司令部壕を訪れ、実際に壕内で響く他の人の話し声や足音を聞いていると、壕内に米軍が進攻してきた時には、どれほど緊張し、銃声の音が鳴り響いたのだろうかと、その悲惨さを思った。
長くて薄暗い壕から、一歩外に出ると、そこには美しい海と青い空と、那覇市の風景が広がって見えた。   この高台で、戦没者が安らかに眠っていますように。    そして先人達の死が無駄に終わらぬよう、世界が平和でありますように。


資料館に展示されていた当時の写真の何枚かを、別頁に載せさせていただきました。  是非ご覧ください...
沖縄戦の記憶

 

September20, Monday (sunny)


         沖縄のおじぃ&おばぁ             篭売りドラゴン・フルーツ 200円/1個   ドラゴン・フルーツ(ほとんど無味ですがミネラルいっぱい)

今日は『敬老の日』だけど、敬老の日でなくとも沖縄のお年寄りは注目を浴びており、そして慕われてもいるのだと沖縄に来てからわかった。   こちらではおじいちゃんは“おじぃ”、おばあちゃんは“おばぁ”と、家族から呼ばれるのだそうだ。  正確にいうと、家族でなくてもある程度歳を取っているなと判断したら、“おばぁ”と声をかけてしまっても問題ないらしい。   お年寄り、特に沖縄のおばぁというのは、実にしたたかでおおらかで、そしてお茶目なのだと、数多い沖縄本の中にも書いてあり、実例を呼んでいると結構笑ってしまう。  特に沖縄オバァ研究会によって編集された『沖縄オバァ列伝』という本は沖縄のおばぁの生態を沖縄の言葉や歴史・文化と共に紹介していて、とても面白いのでお薦めだ。

私が出会ったおばぁさん達は皆優しく、同時に商売に対して全く貪欲ではない印象を受けた。  例えば、咳止め薬を薬局に買いに行った時に、『胃薬もあげましょーね』 と言って、太田胃酸の薬をおまけに付けてくれたことがあったり、お惣菜屋さんで1個30円の天ぷらを、“4つください”と言うと5つ入れてくれたりする。   昨日はおそば屋さんの店先で、篭に入ったドラゴン・フルーツが1個200円で売っていたので、1個だけ買って1,000円を差し出すと900円のお釣りをくれた。   この時には、『あれ? 表に200円って書いてありましたよ』 と言うと、慌てて笑いながら、私の掌から100円を取り出していたけど。
こう、何ていうか、『だいじょーぶさぁ、そんな細かいこと気にしないでぇ。  食べていかれないことはないんだからぁ』 的な思想を、苦難と変動に満ちた人生を送ってきた人だからこそ持っているような、そんな感じがしてくる。

それから沖縄では、おじぃとおばぁが海岸のテトラポットに座って二人で夕陽を見ている、なんて姿も見かける。  普段着のままで、何か話をしたり無言になったり、陽が沈んで辺りが暗くなる頃に、共に家に帰っていった。   すごくいいなぁ...って思った。 私は未だ30代だけど、きっと70才になっても80才になっても、恋心は10代とさして変わらないのではないかと確信に近く思っている。     だから例えば70歳の時に、パートナーと夕陽を見て家路につくとかいう関係は、素敵だと思う。   

あぁそれから、沖縄ではおばぁが颯爽と乗用車を運転しているのがカッコイイ。  アメリカでも赤いマニキュアとペディキュア、そしてちゃんとお化粧をして、車を運転しているおばあちゃんってよく見かけた。  それに近いパワーと“現役さ”を、沖縄のおばぁたちは確実に保持していると思う。

オキナーンチュのおばぁ様たちをより観察して、将来のお手本にしてみたい。

September18, Saturday (sunny)

 
            パパイヤ 120円                         や、野菜だった!

沖縄だからといってゴーヤが安いだろう、というのは少々甘い考えだった。  先週290円で“高いなぁ...”と思っていたら、今週は370円になっていた。   今年は本州も暑く、私の実家がある静岡でもゴーヤは豊作だった。   田舎なので、近所の人達が頼まなくても毎日採れた野菜を持ってきてくれるので、母と私はそれをどう料理するかに悩み、糠漬けにしたり、チャンプルにしたり、から揚げにしたりして、ゴーヤのありがたみも薄れてきていたことが、今となっては悔やまれる。

今日は、スーパーに巨大なパパイヤがなんと120円で売っていて、感動して買って帰った。
オレンジ色の甘〜いパパイヤが、これからは思う存分に食べられるんだぁ! と喜んでいたのもつかの間、切ってみると真っ白で固〜い実が現れた。    恐る恐る食べてみると、ほんのり、本当にほんの〜りと甘みがある、それは野菜だった。
ちょっと、いや、かなりショックだったけど、野菜が不足しがちな生活から脱却するのには、とってもいい機会だったのかもしれない。   それにこの、ほのかなくどさのない甘さは、この暑さの中、とてもいい水分補給にもなりそうだった。

夜、他の野菜と豚肉といっしょにお味噌を入れて炒めて食べたら、淡白な味といい、冬瓜のような歯応えといい、予想外の美味しさだった。   そして、ポテトチップスのように薄く切って油で揚げて食べると、ほんのりと甘くて本当に美味しかった。

でもそしたら、フルーツのパパイヤは、沖縄にはないのかなぁ?

September16, Thursday (sunny)


                                                        読谷村(ヨミタンソン)の漁港

 
                                                           世界遺産 座喜味城跡

沖縄本島の中部よりやや下に、読谷村という地域があり、海沿いに都屋漁港と呼ばれる場所がある。
特に観光名所というわけではないと思うが、何隻もの漁船が停泊しており、そこから見る海は今日まで沖縄で見た中で、一番綺麗な色をしていた。

読谷村の北に、世界遺産に登録されている『座喜味城跡』という、今では城壁だけが残っている場所がある。
15世紀の初めに建城家である“護佐丸”という人物によってお城は造られたのだそうだ。  第二次大戦中には、城跡に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、その翌年には返還されたとのことだった。   そして、そこにあるアーチ状の石門は沖縄で最古のものとのことだった。
城跡は高台にあり、そこから見える景色も、那覇市をはじめとして各諸島まで展望できて絶景だった。      

 

September15, Wednesday (sunny)




アメリカの空軍施設である嘉手納基地の一角で、『アメリカン・フェスタ』が行われた。  これは基地内のアメリカ軍人とその家族達の毎年恒例のお祭りであると共に、滑走路を一般日本人にも公開し、親睦を深めるという意図もあるようだ。
航空アクロバットショーが行われた年もあったとのことで、毎年何十万人という人々が足を運んだのだそうだが、今年私が訪れた時の感想は、とても閑散としていてお祭りの規模も『これだけ?』 という感想を持たずにはいられなかった。
人手が少なく感じたのは、もしかすると訪れたのがお昼時の時間帯だったからかもしれない。   フェスタは午後3時頃からコンサートが行われ、夜には花火も上がるからだ。  それにお昼の灼熱の太陽にさらされる時間帯より、夜ライトアップされた雰囲気が、お祭りらしさを助けてくれたりもする。   
でもそれらの理由を差し引いたとしても、この人の少なさは、8月13日に沖縄国際大学の校舎に激突炎上した米軍機の影響が大きいのだと思う。   以降、連日ローカル・ニュースでも全国ネットのニュースでも、普天間基地問題について流れない日はなく、ここ沖縄でも被害を受けた大学キャンパス内での集会や、基地返還デモ、そして普天間基地の変わりに米軍海上基地を建設するという案が出されている『辺野古』では、座り込みデモが行われている。
沖縄本島を車で縦に走っていくと、『フェンス』の多さに改めて驚く。  そして基地分布度が示された地図を見ると、唖然としてしまった。   今まであまり考えたことも無く、ただ『沖縄返還』だとか『基地反対運動』などという単語が断片的に脳にインプットされていただけで、実感として沖縄がこれほどアメリカの軍に占拠された県であるとは知らなかったから。  それはさながら、“基地の合間にわずかに許された、オキナーンチュの土地” という印象さえも与えるものだった。   主要道路のサイドに広大に広がる土地がフェンスの奥にあり、そこには違う国家が存在している。  そしてそれは非情で横暴な手段で、摂取・横領されてしまった経緯があった。

最近、最寄の図書館で、『沖縄−この恐るべき歴史と現実』 という本を借りて読んでいる。  そこには、かってオキナーンチュが農作物を育てていた土地を、どのようにアメリカ軍が摂取・横領してきたかが書かれていた。   1952年という年代であっても、タバコ1個が10円だった時代に土地一坪(3.3平方メートル)が1円8銭でのオファーだったとのこと。  そしてその申し出を断った農民には武器を持って家を追い出し、家を破壊し、農場を焼きはらってしまった。  
その後、何度も軍機が学校や農場や民家に激突をしたり、ノイローゼを引き起こすほどの爆音に悩まされたり、ジープやトレーラーが空から降ってきたりしたのも沖縄の現実だった。   空から降ってきたトレーラーの下敷きになった少女への米軍からの見舞金は$100だったという。   それに加えて放射能や水汚染の被害もオキナーンチュは被っていた。  そして、それらアメリカ兵の起こした事件に対する日本の裁判・審判の権利は今でも50%に留まっており、ほとんどの理不尽な事件の被告人は“無罪”となっているのだ。

今日のお祭りでは、バザーや屋台が出ていた他、子供向け遊技場やコンサート会場が特設されていた。  また、日本の自衛隊用の軍機と共に、米軍の様々な軍用機が展示されていて中まで見られるようになっており、軍機が好きな人には面白い場所だろうなぁと思った。   兵士の人達は皆明るく親切に対応をしてくれ、基地内に住む子供達や家族達を見ていると、そこはまさにアメリカそのものだった。   兵士の中には若くて美しい女性もたくさんいた。   恐らく兵士として生きる彼・彼女達には、現実の悲惨さや不合理さとは真逆の信念や理想を抱いているのだと思う。    悲惨な歴史の中に、私が愛したアメリカの姿は見当たらない。   今、沖縄の人々の心情を察する日本の姿も見えない。

夜、高台にある『道の駅』と呼ばれているドライブインの屋上からは、沖縄の東側の街のネオンと西側の街のネオンに挟まれるかたちで、森の川ように暗く広がる米軍の基地が見えた。   そしてとても綺麗な打ち上げ花火を、少し悲しい気持ちで眺めていた。

 

September14, Tuesday (sunny)

 
                ラフティー                       ゴーヤチャンプル                  さんぴん茶           サーターアンダギー

沖縄といえばゴーヤチャンプルが有名だ。  今日はチャンプルの他に、沖縄風 豚の角煮であるラフティーを作ってみた。
これまで作ったゴーヤチャンプルには入れたことがなかった木綿豆腐を、今回は追加してみた。  島豆腐と呼ばれている沖縄の豆腐は、本島の豆腐より固い仕上がりになっていて、沖縄の食文化によく適しているのだそうだ。
そしてラフティには角煮を作る要領で、お酒の変わりに泡盛を、そして白砂糖の変わりに黒砂糖を入れて作った。
どちらもいつもとちょっと違った味で、とても美味しくいただけた。  特にラフティーは黒砂糖の甘さと、泡盛の風味が程よく沁み込んでいて上等だったと思う。   なんて自画自賛。

沖縄の人は、緑茶よりも圧倒的に『さんぴん茶』(ジャスミンティ)を好んで飲むようだ。  スーパーにも『さんぴん茶』がズラリと幅を利かせて並んでいる。  この辺りからも、沖縄が中国の文化を大きく引き継いでいるのだと感じる。
『さんぴん茶』の次はウーロン茶、そして『シークァーサー』(沖縄産ヒラミレモン飲料)が、食卓の3大人気飲料だと思う。  
(勿論、泡盛や、地ビール(オリオン)は別格としてだけど)

そして沖縄の伝統的なお菓子だという、『サーターアンダギー』を食べたのだけど、その大きさと美味しさに感動してしまった。
“爆弾ドーナッツ”とでも名前を付けたいようなこのお菓子は、予想どうり、中までちゃんと揚げるのに熟練の技が必要なのだそうだ。  沖縄のおばあちゃん達にとってさえも、上等な『サーターアンダギー』を作ることは、至難の業なのらしい。
それにしても、とても美味しいのは確かなのだけど、あまりにカロリーが高そうで、ちょっと怖いのも否めない。

September13, Monday (sunny)

  
奥武山公園駅ホームからの風景      奥武山公園駅ホームからの風景                        モノレールからの風景

   
          
   Quicklyのお店                            Quicklyのメニュー              お酢とピーチのドリンク  黒タピオカ入り  (左)緑豆 (右)ローズヒップ・ヨーグルト

沖縄で唯一の鉄道である『ゆいレール』は、那覇市内を走るモノレールとして去年の8月10日に開通した。
車内が特に綺麗で明るく開放的に感じるのは、窓が大きく設計されているからだと思う。  晴れた日などは、高めの位置から青い空と白い建物の那覇市内が臨め、とても気持ちが良い。  
今日は最寄り駅の奥武山公園駅のホームに初めて立ったのだけど、そこから見る景色は広々とした野球場が広がっており、とても美しかった。   空の雲の影が、芝生のグラウンドをゆっくりと流れていく中、ランナーが気持ち良さそうに走っていた。

家から奥武山公園駅に行く途中に、『Quickly』という店がある。   沖縄では時々見かけるお店で、メニューにはタピオカ入りのドリンクが100種類ほど並んでいた。  台湾発のドリンクスタンドで、日本では沖縄の他に池袋にもあるそうだ。
メニューは実に意外性があり、ハーブミルクティ+タピオカだとか、緑豆シェイク+タピオカだとか、お酢にイチゴやココナッツなどのフレイバーを加えたものにブラック・タピオカを沈めているものだったり、都度通って味を確認したいものばかり。
今日はお酢にピーチ風味を加えたタピオカを注文してみた。   ストローがタピオカを吸い込めるように太くなっている。
 ...お味は? ... 最初はお酢の強さに『うぅっ』っていう感じだったけど、慣れてくるとほのかに甘いタピオカとピーチの風味とがマッチしてハマルこと間違いなし!  特にこんなに暑い日にはさっぱりしていて欲しくなる一杯だ。
少しずつ、なるべくたくさんのメニューを制覇してみたい。

 

September12, Sunday (sunny)


          沖縄師範学校跡          朝鮮から贈られたお経を収めていたお堂     園比屋武御嶽で祈る人々                       首里城の城壁
 
 
          廣福門からの風景                   瑞泉門への階段                             首里城                                   首里城の中


            琉球舞踊(加那ヨー天川)              四つ竹の舞                  金城の石畳                           石畳端の家


 “沖縄というのは実は曇り空の日が多く、晴れたとしても途中でわか雨が降っては止むというようなお天気なのかなぁ...?”と思い始めていたこの頃、今日は一日中快晴で真っ青な空が広がり、なんだか嬉しかった。   

1945年の沖縄戦で焼失したものの、1992年に復元され、2000年に世界遺産に登録された『首里城』を初めて訪れた。  途中、沖縄戦の時に兵士として戦った若者達が通っていた沖縄師範学校(現沖縄県立芸術大学)の前を通り、さらに少し歩くと15世紀末に朝鮮王から贈られたお経を納める為に建てられたお堂があった。  歴史の中でお堂もお経も破壊されてしまったのだが、1621年にお堂が再建されて、今では弁財天像を祀っているのだそう。   『天女橋』という沖縄の石灰岩で作られたアーチ橋も架かり、趣のある一角だった。  
さらに少し歩くと、地元の人らしきおばちゃん2人が、古びた門の前で熱心に拝んでいた。  後から知ったのだけど、なんとその場所は園比屋武御嶽(そのひやんうたき)と呼ばれる、琉球国王の拝所とのことで、世界遺産に登録されている場所だった。
きっとあのおばちゃん達が拝んでいなければ、見過ごして通り過ぎていたこと確実だけど、地元の人にとっては今でも大事な拝所なのだそうだ。
ほんの少し歩いただけなのに、当時のままに残されている建物は沖縄の波乱に満ちた歴史を垣間見せてくれるようだった。

中国、韓国、タイ、マレーシア、インドネシアなど、主に南アジア間の貿易の中継点として15世紀半ばから450年に渡って栄華を誇った琉球王朝の象徴ともいえる首里城は、琉球王の居城だけあって見事に美しくて大きくて品位に満ちていた。
高くて頑丈な城壁は城を守り、石の階段を上りきった所にある本殿までにはいくつかの厳かな赤門がそびえ立ち、本殿の中にある竜の絵が描かれた調度品は金と紅で彩られていた。  
中国の紫禁城を手本に造られた首里城は、161本の柱が城を支え、材木を巧みに組み合わせて建築されており、屋根には6万枚もの赤瓦が使われたのだそうだ。   赤瓦というのは、粘土を焼く温度で色が変わり、焼き具合によって水の吸水性も変わってくるのだそうだ。   台風や強風、そして暑さに耐えられ、且つ、見た目にも美しい赤瓦が1700年頃から首里城に使われていたとのことだった。

水曜日と、金・土・日曜日の11時と14時と16時には、首里城の屋外で無料で琉球舞踊を見ることができる。
美しい紅型衣装で踊られる『古典舞踊』から、庶民の生活や感情を表現した『雑踊り』まで、男性が弾く三線(沖縄三味線)の音に合わせて6種類の舞踊を披露してくれた。  バリ舞踊も美しかったけど、沖縄の舞踊もそれとはまた違った魅力を持っていて惹きつけられてしまった。  しとやかで、洗練されて、ユーモアもいっぱいだった。  外国人の観光客もとても楽しんでいるようだった。

帰り道、『金城の石畳』 と呼ばれている、石畳で作られた急な坂道を降りていった。  小道の両脇は緑の木々が覆い、木々の合間には昔ながらの沖縄の家が静かに佇んでいた。  夕暮れ時、まな板をたたく音が聞こえてくる家を通り過ぎると、別の家からはほのかな石鹸の香りが漂ってきた。   風情のある景色に沖縄の生活を感じ、胸がいっぱいになった。

午後から出かけたのにも関わらず、とても充実した一日だった。
沖縄がアジアの中の1つの国だった時代にタイムスリップできたのなら、どんなにか面白いだろうと思った。

September11, Saturday (sunny)

  

大きな力に呑み込まれてはいけない。   何が真実かを見失ってはいけない。
どこにいても忘れてはいけない。   
そこには確かに彼/彼女達がいたことを。   
青空はいつも、暗雲よりもっと高いところで太陽に照らされて広がっていることを。

世界中のテロで犠牲になった人達のご冥福をお祈りいたします。

 

September9, Thursday (sunny)

  

今日、地図を片手に、目的地までの近道を探す為に道で立ち止まっていると、おばちゃんが笑顔満面で『駅ねぇ?』 と近寄ってきた。  意味が解らず少し焦っていると、『駅行くねぇ?  モノレール?』とニコニコして言った。  “あぁ、道を教えてくれようとしてるんだぁ” と悟り、心からお礼を言った。   やっぱり沖縄の人には親切な人が多いと思う。  

小禄を東にしばらく歩くと『漫湖』という大きな湖があり、その湖沿いを歩いていると沖縄の秋を少し感じることができた。  小さなマングローブの周りにはトンボが飛んでいて、原っぱの中にはススキが風に揺れていた。   まだまだ気温は暑いのに、沖縄にも確かに秋がやってきているようだ。  なんだかその風景は少し気持ちを寂しくさせたけど、オキナーンチュの秋に触れられてよかった。   12月頃になると、今度はススキによく似たサトウキビの花が咲きとても綺麗なのだそうだ。

 

September7, Tuesday (sunny)
 
              謎のグリーン                           bad luck 赤...

二日間ほど絶不調だった。  最近、慢性的な咳が出ているのに加えて、今日はひどい頭痛に腰痛が加わり、それぞれに存在を主張してくるので辛かった。  お布団でうずくまりながらも、『頭痛ってなったことがないの。 頭が痛いってどんな感じ?!』 と無邪気に聞いてきた知人のことを思い出した。   頭痛をしらないなんて、正に神様からの贈り物だと思う。  そういえば最近では、義姉に、『肩がこるってわからない。  どんな感じ?』 と聞かれたんだった。   ...ホント、羨ましい限りでござる。

ずっと家にこもっていると今度は精神的に活力が無くなってきたので、無理してアウトレットがあるという場所までバスで出かけてみた。  でも頭痛の為、頭を少し傾げてゆっくりと歩くことしかできず、到着後にタコスを1つだけ食べて次のバスで帰宅した。  
バスは学校前を経由しており、途中から高校生がたくさん乗ってきた。  沖縄の言葉にとても興味がある私は、彼女達の会話を耳をそばだてて聞いていたのだけど、いたって標準語に近いんだなぁと思った。  ただ語尾に『さぁ』がつくことと、イントネーションがとてものんびりとした印象を受け、穏かな気持ちにさせてくれるようだった。    
バス停を通過する毎に乗客も増え、バスは入り口までいっぱいになってしまったとき、2〜3人の女子高生が、『早く降りてあげないと、かわいそう...』 『あと(バス停まで)2個だった?』 『いや、あと3つ』 などと会話をした。  そしてそこから3つ目のバス停で彼女達は急いでバスを降りて行った。   沖縄の人は、基本的に優しいのかもしれない。

沖縄の本を読んでいたら、沖縄の子供達にとっては道路に埋め込んである青または赤の印は、特別な意味を持っているのだと書いてあった。  青のポッチを見つけたら、すかさず片足で踏み、10数えるとその日は良いことが起こり、逆に赤のポッチを見かけてしまうとバッド・ラックなのだそうだ。  だから沖縄の人達には、下を向いて歩き続けた子供時代が必ずあったはずなのらしい。
私もそうやって歩いてみたのだけど、青ではなくグリーン、そして不覚にも赤を見つけてしまった。
赤を見つけたときというのは、予想以上にショックなものだった。  そして、 “この場合、グリーンは青と見なして良いのだろうか?!” などと考えていると、あきらかに青だったと思われるペンキの色だけのこした、真ん中の釘だけ残したポッチ跡を発見した。   やっぱり、グッド・ラック青が存在するのだ。  幻の青ポッチ...、いずこに?

September5, Sunday (stormy)

             窓から見た風景

台風18号がやってきた。  アメリカから沖縄が返還されて以来、最大級の雨と風になるらしい。
窓の外から『ピュー!  ピュー!』という音が朝から絶えず聞こえてきて、改めてここが海の只中にある小さな島なんだなぁと実感する。 
テレビを見ていると、時々ニュース速報のようにイベントの中止・順延情報がテロップで流れる。  『本日予定されていた、梅沢登美男と前川 清のコンサートは、台風のため9月7日に順延決定。 チケットはそのままお使いください。』  などとコンサート情報までテレビのテロップで流してくれるのは、親切で合理的だなぁと思った。

昨日スーパーでレトロなパッケージのパンを見つけ買ってみた。  今朝これをトースターで焼いて食べてみると、部屋にパンの香ばしい香りがたちこめてとても美味しかった。  
それから
『ミミスター』という、豚の耳のビーフジャーキーのようなものも、“コラーゲン豊富!”というキャッチに惹かれて買ってみたのだけど、コリコリした食感で味も良く、大ヒットだった。
沖縄にしかない食べ物に、たくさん出会って食べてみたい。

September4, Saturday (sunny)


道を歩いていると、民家の門前や道路の角などあちらこちらに『石敢當』と彫られた、石で作られた表札のようなものが目に入ってきた。   私は、“これまた珍しい苗字だなぁ。  何て読むのかなぁ”なんて考えていたのだけど、これはシーサーと同じく、沖縄の魔除けだと後から知った。   イシガントウと読むのだそうで、やっぱり中国から伝わってきたのだそうだ。  この漢字にはどんな意味やストーリーがあるのだろう...?   機会があったら調べてみたい。

求人雑誌を手に取ると、沖縄県内の求人よりも、九州や本島、北海道に至るまで県外からの求人広告の多さに驚いた。   『寮完備』なんていうキャッチもあったりして、こういう雑誌を手に沖縄県を去る若者がたくさんいるのだろうなぁと思った。
地図に載っている土地名を見ていると、今まで私が出会った沖縄出身の人達の苗字と一致して、当時のそれぞれの思い出が頭をめぐる。  プロカメラマンのアシスタントになった浦崎くん、学生時代にクラスメイトだった玉那覇ちゃん、会社で出会った宮城くん、バイト先にいた名嘉地ちゃんに具志堅さん、昔エステでお世話になった東風平(コチンダ)さん...    そういえば、みんな共通して穏かで、陽だまりのような温かさを持った人達だったと思う。  今頃、どんな素敵な人生を送っていることだろう。 
“沖縄の人は、沖縄の人同士で結婚することが望まれている”って聞いたことがある。  もしかしたら彼/彼女たちの多くがもう、沖縄に帰ってきているのかもしれないなぁ。

 

September3, Friday (sunny)

 


小禄(オロク)は1980年中頃まではアメリカ軍の敷地で、塀で囲まれていたそうだ。 小禄の隣りにある金城という土地には『琉球ジャスコ』があり繁盛していた。  
 
散策をしていると、読めない漢字の多さに不安がよぎる。  勘が効かない漢字であり、最初の一声さえも詰まって出てこない。  金城という漢字は、キンジョウ、カネシロ、そしてカナグスクという読み方があるけど、なんとか読める範疇だ。  でも例えば奥武山公園をオウノヤマコウエンと読んだり、南風原町をハエバルチョウと読むのは、知らなければ不可能な気がする。  さらに南風のことは、パイカジと読むのだそう。   家の表札などでも、『三男新平良小』だとか、『瑞慶覧長栄』などと書かれていたりすると、もうお手上げである。  どこまでが苗字かさえもわからない。   元来、沖縄は中国の影響を大いに受けていて、文字も沖縄の言葉の意味に合わせて漢字をあてがったのだと本に書かれていた。   沖縄の言葉も読み方も、焦らず少しずつ覚えていこうと思う。

今日は美味しい出張メロンパン屋さんを見つけた。  エッジがカリカリしていてクッキーのような味でありながら、中身はふんわりホカホカのメロンパン。   ...通うぞぉ。

September2, Thursday (sunny)

 

                
しばらく沖縄で暮らすことになりました。  沖縄... 5年ほど前に一度訪れたことがあり、その時の写真を見るとどれも青い海と空の中、笑っている私がいた。  そういえば玉泉洞という所で『ハブとマングースの戦い!』なっていうのも息を呑んで見たんだった。  今ではそのグロテスクさゆえに観光客や子供達の好奇心を煽ったショーも、沖縄サミットの際に海外の動物愛護団体からクレームがきたことがきっかけで、禁止されているそうだけど。

少し長く滞在することになった今回、観光地としてではない沖縄を少しでも発見できたらいいなぁと思う。   それに本州では秋を迎えるこの季節、沖縄はどんな色をしているのだろう?
沖縄の人のことを、“オキナーンチュ”というのだと今日知った。   知らない風景、知らない生活、知らなかったオキナーンチュの心に触れられたらいいなぁと思う。

那覇空港からモノレールに乗り、県庁前という駅でおりた。  途中景色を眺めていると、丘陵の多いひっそりとした街並みが熱海の温泉街のようでもあり、湿度の高い暑い空気はバリを思い出させ、白いコンクリートの無機質な建物は赤坂周辺に立ち並ぶ外国人向けマンションを連想させた。   
不動産の手続きを済ませ、タクシーで私が暮らすことになる小禄(オロク)という場所に行った。  タクシーの運転手はとても親切で、運転中にもスーパーの場所や最寄りのバス停、八百屋さんのある場所などを説明してくれた。   『9月いっぱいは台風が来るものと思っていたほうがいいですよ。  まだしばらく暑いけど、冬の衣替えは11月、夏の衣替えは3月ですよぉ。 沖縄には夏と冬しかないからぁ』と笑って言った。  冬といっても“涼しくなったら冬”なのだそうだ。  

夕方テレビでニュースを見ると、6:30頃にとても懐かしいCMソングが流れてきた。 “ボクの名前はヤン坊♪、ボクの名前はマー坊♪、二人合わせてヤンマーだぁ、君と僕とでヤンマーだぁ。  小さなものから大きなものまで、動かす力だ、ヤンマーディーゼル〜♪”  あぁ、懐かしい!  後半は一緒に合唱してしまった。  沖縄では今でも農耕機が売れているってこと?