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| June
20, Sunday (sunny) |
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D.C.でのダイアリーは本日を持って終了とさせていただきます。
この後、少しだけバリに滞在します。
そちらのダイアリーとアルバムも是非ご覧ください。m(__)m
Thank you so much for being with treasure
hunting in Washington D.C.!!
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| June
19, Saturday (sunny) |
今日は久々に家のドアベルが『ピンポン』と鳴った。
ガラス窓からは見えなかったのだけど、ドアを開けると小学3年生くらいの小さな男の子が立っていた。
『ハロー』
『$3で車を磨くけどどうですか?』
『ごめんね。 うち、車ないのよ』
そんな会話で少年は去っていった。
家に来る来訪者も、彼で最後かもしれないなぁ、なんて思っていると、お隣さんの車を3〜4人の少年達がタイヤの裏まで一生懸命磨いているのがキッチンの窓から見えた。
最近、夜になると裏の林にホタルが乱舞する。
木々に止まって輝くたくさんの光は、まるで緑色のクリスマス・ツリーみたいで、しばらく見とれてしまう。
大好きな場所にお別れするのは、胸がキューンと締め付けられるけど、出会えたことに感謝しないといけないね。
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| June
18, Friday (sunny) |
久々に映画、"The
day after tomorrow"を観に行った。
環境破壊による気候変動が原因で、アメリカが、そして世界が竜巻やハリケーン、そして寒波に見舞われて絶滅の危機に陥る、という、日本映画だと
『復活の日』や『日本沈没』
(イヤ〜、古〜い!)、ハリウッド映画だと記憶に新しい『ディープインパクト』などの映画の類だった。
こういう映画って、“ありえない”とか“CGみえみえ”とかイジワルな批評を買い易いのだけど、私はピュアなラブ・ストーリーとしても、アメリカ映画ではお約束の人間愛をテーマとして見ても、とてもいい映画だと思った。
何と言っても、京都議定書にサインをしなかった自国を、痛烈に反省・批判している映画の作りは、個人的に“いいぞ、いいぞ!”
と応援したくなるのだった。
ところで、ストーリーの中でアジア系の『いい女』
的な役で出てくる女性、どこかで見たことあるんだよなぁ...
なんて考えながら見ていたのだけど、あれって、もしかして昔『カラテキッド』に出ていた少女?!
タムリン・トミタさん、素敵なハリウッド女優になっていたんですね...。
でもね、タムリン。
あれから20年経つというのに、日本の描写は変わっていないんですね。
昭和時代を思わせるセットに、カタコトの日本人キャストは、ちょっと残念でした。
面白かったけど。
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| June
17, Thursday (sunny) |
家を去るに伴い、いつも利用していたワシントンD.C.の日本人向けコミュニティサイトに、電子レンジとテレビを売りに出した。
そのサイトは私にとって困った時のお助け帳みたいなもので、質問などを書くとすぐにD.C.在住の、または既に日本に帰国した誰かから的確な回答やアドバイスがもらえる、本当にありがたいものだった。
世の中、良い人ばかりとは言わないまでも、たくさんの人々の親切が身に沁みるサイトだ。
クラシファイドの方も、意外に早く購入希望者から連絡が届き、簡単に取り引きが済んでしまった。
どちらも先方が車で家まで取りに来てくれた。
テレビを購入してくれたのは、お嬢さん2人とそのパパとママというご家族で、海外転勤で今年の2月から滞在しているということだった。
買った値段の半額での売却だったけど、大事に使ってくれればそれでいいやと思った。
電子レンジのほうは、中国人の若いご夫婦だった。
日本に7年仕事で住んでいたため、日本語はペラペラで、先月転勤でD.C.に来たとのことだった。
『日本語を忘れたくないので、日本のテレビが見たいのですが、そーゆうサービス知ってますか?』
と尋ねられたが、私もわからなかった。
とても陽気且つハイテンションなご主人は、『他に要らないものないですかぁ?』
とめげずに言うので、私は思わず笑ってしまった。
『冬は死ぬほど寒いから、電気ヒーターは如何ですか?
絶対必要です! $8でいいです!』 と押してみた。
ご主人は、この暑いさなか、『そ、そうですか...?』
と半信半疑な顔で、電気代の心配をしていたが、私はこのご夫婦を凍えさせてはなるまいという一心で、強く勧めた。
今日の売り上げは、電子レンジ$21と、電気ヒーター$8で、合計$29。
...頑張ったなり。
バトンタッチのような気分で少し寂しいけど、楽しいアメリカン・ライフを送ってくれたらいいなと思う。
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| June
16, Wednesday (sunny) |
  
 
今週いっぱいでD.C.を離れることにしました。
このHPはおそらく滞在場所が変わって続行させていただくことになると思いますが、場所は未定です。
新しい場所でまた何かと出会い、新しい発見があればいいなぁと思っています。
どうぞ見守っていてください。
D.C.は、私の中でもとても魅力的な場所でした。
いろいろな国籍を持つ人々が、上手く混合して1つの社会を築いているところも、アメリカという国を見る鏡としても、情報の坩堝のような博物館群にしても、とても魅力的なものでした。
特に私の中にたくさんの『宝物』を運んでくれたのは、おそらく“バスの中”だったと今は思います。
車がなかったことが功を奏してバスを利用したことから、人々の意外に面白い日常のドラマを垣間見ることができたような気がするし、たくさんの優しさにも触れられました。
ため息が出ることや、あきれる事もあったけど、アメリカという国は様々な価値観の中で自分を模索できるところではないかと思いました。
笑顔でいれば、必ず笑顔が返ってくる...
そんなシンプルなアメリカが大好きです。
これまで私のHPをクリックしてくださってありがとうございました!
そしてこれからも、またよろしくお願いします。 ^-^/
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| June
15, Tuesday (raining) |
先日帰国して田舎に帰ったときに、ハッとするような声でウグイスが鳴いた。
父が、『ウグイスも鳴きかたの練習をしているんだって。
最初は下手くそなんだけど、だんだん鳴いているうちにウグイスらしい鳴き声になってくるんだって。』と言った。
私は、“へぇ〜”と感心し、しばらくウグイスの鳴き声を聞いていた。
すると確かに『ホ〜、ホケッ...』で詰まってしまう時や、『ホケッキョ、ケッキョ』などと、変てこな鳴き声の時もあり、『ホ〜、ホケキョ』と美しく鳴き声がきまると、“いいねぇ、上手くできたねぇ”などと心の中で褒めいる自分がいた。
アメリカの家でも、朝、空がうっすら明るくなる頃、『ヒュ〜、キュルキュルキュル』と鳥の鳴き声が賑やかだ。
ベッドの中で聞いていると、こちらも『ヒュ〜、キュルッ...』
『ヒュ〜、キュッ』と練習中のようで、毎朝、調子の良いときと、悪い時があるようだ。
『鳥って何で鳴くんだろう』なんて以前には考えたこともないようなことが、頭に浮かぶ。
子孫繁栄のために異性を惹きつけるためだったり、鳥同士のコミュニケーションだったりするのかもしれない。
それは“本能”として組み込まれた、ごく当たり前のこととして考えてしまうと簡単なのだけど、『綺麗な声で鳴きたいから』っていう鳥の意思があって、自己満足の世界で鳴いているのだったら面白いなと思った。
そういう自己満足って可愛いと思うし、確かな意味もなく鳴きたいから鳴くっていうの、とても魅力的だと思うから。
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| June
14, Monday (cloudy→sunny) |
アメリカのジョークというのは、1つ覚えておくと便利だと思う。
外国で初対面の人と食卓を囲むことがあった場合、運がよければその話で場が和むかもしれないし...。
私も1つだけ常備している話がある。
ある船の旅の夕食で、アメリカ人とフランス人が1つのテーブルを囲んで座った。
日本人が食前に『いただきます』というように、フランス人も『ボナペティ』という。
それを知らなかったアメリカ人は、フランス人が『ボナペティ』と言うと自分の名前を聞かれたのかと勘違いして『I'm
Steve』と答えた。
何回か夕食を同席する度に、フランス人は『ボナペティ』と言い、その都度アメリカ人は『I'm
Steve』と答えねばならなかった。
ある日アメリカ人は船のデッキで友人に、『あのフランス人、俺はスティーブだって言ってるのに、何度も『ボナペティ?』って俺の名前を聞いてくるんだ。全く...』とぼやいた。
彼の友人は笑って、『違うよお前、ボナペティっていうのは、フランスで、食べる前に言う言葉なんだよ。』と教えてくれた。
スティーブが再度、そのフランス人と夕食のテーブルを囲んだ時に、彼は照れくさそうに、『ボナペティ』とフランス人に言った。
するとフランス人はすかさず、『I'm Steve』と優しく答えた。
この話は、面白さが解るまで少々時間がかかる。
その間が、話し手としてはドキドキしてたまらない。
アメリカ人のツボにはまる事は実証済みなのだけど、フランス人も『I'm
Steve』が英語でボナペティの意味だったと思っていたことまで、果たして解ってくれたかどうかがミソなのだ。
以前にアメリカ人の知人にこの話をした時には、相当ウケたので、内心ガッツポーズだった。
...おそまつ。
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| June
13, Sunday (cloudy) |

早く刈らないと!(右半分)
夏になると青々と茂る芝生。
街は明るいグリーンに輝き、足元は絨毯の上を歩いているようで草の香りも心地よい。
だけど、芝生が伸びる早さは予想を遥かに超え、2〜3日前に刈った芝生でも一雨降ったその翌朝には、もう何センチか伸びているという具合で、ため息がでてしまう。
昔、高校生の頃ホームステイをしていた時には、庭が広くてトラクターのような芝刈り機だったのだけど、私にはそれが珍しく、自ら芝刈りをしていたので、おじいさんがたいそう喜んでいたのを思い出してしまった。
今思えば、日常お決まりの面倒な作業を喜んで行っていた私は、おじいさんにとってはさぞかし貴重な存在だったに違いない。
本当は自由に伸ばし放題にしておきたいところなのだけど、『芝生の手入れ具合』
によって、その家の佇まいだけではなく、住んでいる人の生活模様まで推し測られてしまうところが辛いところだ。
それに加えて私の家はタウン・ハウスで、お隣さんとくっついているので、家と家の間の芝生も半分この持分となっている。
お隣さんが半分の面積をしっかり刈っているのに、私の家で刈り忘れていたりすると、お隣さんの苦労も台無しになってしまい、申し訳がたたないという気分になる。
そうやって苦労して短く切りそろえられた芝生というのは、床屋さんに行って来たばかりの頭髪みたいで清潔感に溢れていて大好きなのだけど...。
それにしても、アメリカ人が人生のうちに芝刈りに費やす時間というのは、いったいどのくらいになるのだろう。
今日も芝生は休まず伸びる。
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| June
3, Thursday (cloudy) |
ご無沙汰してしまいました。
しばらく私用のため更新をお休みさせていただきます。
中旬頃には復活したいと思っておりますので、また時々訪れてくださいね!
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| May27,
Thursday (sunny) |
big cloud
今日はとても大きな雲を見た。
空の一角を真っ白に占領し、存在感を強くアピールしているようだった。
そして夕方には、生まれて初めてホタルの光を見た。
夕闇の中、黄緑色の一瞬の光が芝生の上を何度か流れては消えていったのだけど、その光はとても幻想的で美しい色をしていて、感動してしまった。
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| May26,
Wednesday (cloudy) |

Lincoln Memorial
World WarUMemorial
Washington Monument
友人とリンカーンメモリアルを見に行った。
久しぶりにそこに行くと、一時的に芝生だけになっていたメモリアルの前に水面が復活しており、ワシントンモニュメントの水鏡がとても綺麗だった。
そして『第二次世界大戦メモリアル』も完成しており、たくさんの人が噴水やアメリカ全州の名前が刻まれた石碑の周りをゆっくりと歩いていた。
あさっての土曜日から3日間は、memorial dayということで、式典および、戦没者を偲ぶイベントなどが企画され、全米から50万人の人出が予想されているという。
今日も、第二次世界大戦時代に現役兵士だったであろうと思われる老人の姿を、たくさん見かけた。
かって敵国だったアメリカとの戦争について、というより現在も引き続き続いている戦争自体について、皆がこの機会に深く考えるようになればいいなと思った。
友人はアメリカ人の服装のカラフルなことや、女性の着ている洋服が可愛らしくて魅力的だと言った。
そう言われてみると、初夏を迎えてからは、人々がおしゃれを楽しんでいるなぁと思う。
そして素敵な人がたくさんいるなぁと思う。
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| May25,
Tuesday (sunny) |
今日は日本から友人が訪ねてきた。
彼女は、以前私が深夜、電話の受付のバイトをしていた時の同僚だ。
あの頃私はお金を貯めるために、お昼2時から夜8時まで児童に英語を教え、その後夜10時から翌朝9時まで、その電話受付のバイトをしていたので、睡眠時間は3時間という日も多かったのだけど、一緒に働いていた仲間が楽しかったので、それほど苦でもなくいい思い出として残っている。
深夜、交代で3時間だけ用意されたベッドで仮眠することができるのだけど、仮眠室の大きな窓から見える綺麗な夜景がとても好きだった。
深夜というのは、同じ24時間の中でもなぜか『濃い時間』だと思う。
世界が寝静まってシーンとしている時に話すことは、時に笑い話だったり、時に深い話だったりした。
それぞれの生きてきた足跡や、今生きている世界は全く異なるのに、皆わかり合えていたような気がする。
空港に迎えにいった帰りの電車の中では、私は彼女と久しぶりにお腹をかかえて笑っていた。
彼女はたった5日間の滞在なのだけど、できるだけたくさんの楽しい思い出を作って帰っていってくれたらいいなぁと思う。
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| May24,
Monday (sunny) |
どの国の人でも、親切で優しい人もいれば、不親切で冷たい人もいて、国籍でこの人はこうだなどとは区別できないものだと思うけど、文化や歴史からくる『国民性』といったものはあるような気がする。
それは良い・悪いといったことではなく、そうだからそうなんだ、といった変えられないもので、例えば誤解を恐れずに言うならば、ラテン系の陽気で人なつっこいけれど、時間にはルーズな気質、アジア系の静かで控えめな反面、無表情でとっつきにくい印象、ドイツ人や日本人のような生真面目な気質など...
そしてアフリカンアメリカンからは、本来とても愛情深い反面
『他人に怒鳴る文化』があることを身をもって教わったわけで、最初はショックだったのだけど、気質として割り切れるようになった。
1度目に洗礼を受けたのは、恒例のバスの中だった。
バスはお金を入れるところが故障すると、運転手が『いいから座って』とタダで乗せてくれるのだけど、それを知らなかった最初の頃、私は運転手の言っていることが理解できず、入り口でモタモタしていた。
するとその女性運転手は『何の為につっ立っているのサ!
さっさと後ろに行ってお座り!』
と怒鳴ったのだった。
2度目は歩行者用の青信号が点滅している時に横断歩道を渡っていると、左折しようとしていた車の窓から女性が何か大声で叫んでいた。
恐らく『点滅の時は車優先なのを知らないの?!』と言っていたのだと思うけど、あまりの剣幕に言葉を失ってしまった。
このアメリカには、いろいろな価値観やルーツを持った人々が集まっているので、暮らしているとそれなりに自分の気持ちをアジャストしないといけないことが多いと思う。
そうしているうちに、小さいことは気にしなくなる神経の太さや、それぞれの文化や特徴を実感で理解することができてくるような気もする。
それにしても、最近は怒鳴られるたびにドラえもんの“ジャイアン”が頭をよぎり、のび太と化した自分はビクビクしていて情けない。
横断歩道も小走りで渡る癖がついてしまった。
ドラえもんはきっと自分の中にいるのにね。
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| May23,
Sunday (sunny) |
今日はバスの中で、一人の男性が左サイドのシートに座っていて、白い盲導犬がその男性の足元に横たわっていた。
アメリカの車は左ハンドルの右側通行なので、バス停も車体のすぐ右脇の歩道にある。
突然、右側サイドに座っていた女性が、『右側の方が(バス停を)見つけやすいと思うから、席換わりましょうか』と男性に声をかけたのだけど、彼は無愛想な顔で、言葉も曖昧にその言葉を聞き流した。
女性は肩をすくめ、気まずそうにゆっくり顔を左右に動かして黙ってしまった。
それからバス停を3つほど越えた頃、白い盲導犬がムクッと起き上がった。
そして次のバス停で、男性は犬と一緒にバスを降りていった。
前に座っていた女性が感心しきった口調で、先ほど男性に声をかけた女性に
『座っている犬が、どうやって目的地がわかるのかしらね』
と声をかけた。
私も、盲導犬ってスゴイなぁと改めて感心してしまい、飼い主でもないのに白い犬が愛しく思えた。
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| May21,
Friday (cloudy→sunny) |
今日は、航空宇宙博物館に再度行ってきた。
そこでは3D-IMAXで、『Space Station』というタイトルのフィルムが$8で見られた。
トム・クルーズのナレーションで、宇宙飛行士が実際に宇宙で撮ったシャトル内での生活をメインに50分間で構成されており、宇宙を3Dで実体験しているような気分にさせてくれ、見応えがあった。
宇宙に放たれてからの宇宙飛行士は、装置などを置くべきところに移動させなくてはならないのだけど、何トンという重さの装置を無重力の中、羽毛のように指先で移動させている映像は面白かった。
また、スペースシャトルの外、つまり宇宙の真っ只中に出ての作業もあるのだと知り、驚いてしまった。
もしはぐれてしまって、一人宇宙にさまよい続けるようなことになったら...と思うと、空恐ろしくて気が遠くなるような気分だった。
今やロシアも含め、16カ国もの人々が協力してNASAの宇宙産業に取り組んでいるとのこと。
フィルムでは日本人のワカタコウイチさんという人も活躍していた。
音楽のチョイスもユーモア溢れていて、お薦めの3D-IMAXだった。
http://www.imax.com/spacestation/index.html
http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/wakata.html
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| May20,
Thursday (cloudy) |

Mr.&Mrs. Simonsの記念碑
町の人々
Achieve your dreams...
スーからボストン滞在中の写真が届いた。
その中に、私が高校時代にホームステイでお世話になったおじいさんとおばあさん(ジョージのご両親)
に捧げる記念碑の写真も入っていた。
おじいさんが亡くなって4年、おばあさんが亡くなってからは2年という歳月が流れているのにも関わらず、町のロータリークラブでどうしてもということで建てられ、先週末に式典がミシガン州のビーバートンという町で行われたのだった。
ジョージも招待されボストンから飛行機で飛んでいた。
二人は交換留学生の面倒を親身になってみてくれただけでなく、私の知らないところできっとたくさんの人々の心の支えになって生きてきたのだと思う。
私の父が
“日本の地元の学生をビーバートンに留学させたい”
と申し出た時にも、空港の送り迎え、ホームステイ先の開拓、学校関係への交渉などを代わりに行ってくれ、嫌な顔一つせずに笑顔で迎え入れてくれていた。
父がゴルフをしたいとお願いした時には、おじいさん(Mr.
Simons)はゴルフをしないので、知り合いのゴルフをするおじいさんを同行させてくれたことがある。
後から聞いたことには、そのおじいさんは戦争時代の嫌な思い出から、実は日本人が嫌いだったとのことだった。
でも父と一日ゴルフをするうちに“日本人への印象が変わった”と言ってくれたのだと、Mr.Simonsは生前に喜んで教えてくれた。
おばあさんのMrs. Simonsも、ピンクのパンタロンがとてもよく似合う、上品で静かな優しい女性だった。
鉄棒に挑戦している少年がモチーフとなった記念碑の下には、
『夢を成し遂げよ。 −Mr.&Mrs. Simonsの想い出に捧ぐ−』
と書かれた石碑があった。
静かな湖のほとりで、彼らの愛情は永遠に生き続けるのだろうと思う。
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| May18,
Tuesday (sunny→raining) |
日本では滅多に見かけないけど、アメリカに限らず海外に行くと『物乞い』の人に遇うことが多い。
それは電車に乗っているときに一番前の車両から乗ってきて、『慈悲ある方の援助をお願いします』
と一言いい、ゆっくりと箱を差し出しながら歩く人もいるし、車道の交差点の隅などに立ち、『Give
to hunger』などと書かれたダンボール紙を掲げて立っている人もいる。
D.C.でも駅の近くで、『電車賃を恵んでくれませんか?』
と若い男の人が次々にやってくる人々に声をかけていたり、フードコートなどでは人々が食べ終わるのをぐるぐる歩き回っては待ち、人々が去り食べ残しなどがあるとサッと奪って隅で食べている人などもいる。
健康な男性でそういう人がいると、私は後味の悪さと葛藤しながらも無視をするか、
"No, I'm sorry" と断るのだけど、その都度
以前に遭遇したある光景を思い出しては切ない気持ちになる。
それは真冬にヨーロッパに旅行に行ったとき、飛行機の乗換えのためにブタペストで5時間ほど観光する時間があったときのこと、大きな橋の真ん中で老婆が十字架のロザリオを持って座っていた。
すぐ横にはお金を入れるべく缶が置かれていたのだけど、私はその旅行中にたくさんのそういう人達を見てきて、施すべきか、そうでないのかについて考えることに疲れていた。
ある国では幼児も巻き込んで周りに座らせていたり、どこか不自由な猫を寝かせていたり、一番心が痛むのは、本人に身体的な負傷がある時だった。
施していたらきりがない、自分もそんなに余裕があるわけでもない、その人の為にならない、など一緒に旅行していた友人の意向もあって施さなかった。
そして結論からいうと、私はその真冬の風に打たれながらロザリオを握って座っていた老婆にもコイン一枚入れなかったのだ。
そしてそれは自分でも想像できないほどに寂しい光景と後悔として残ってしまった。
だからそれ以来、私は自分の基準で少しだけども施すようになった。
正しい・間違っている、必要・不必要、好き・嫌いといったことではなく、そうしたいからそうする、それでいいんじゃないかなぁと漠然と思うようになった。
そういう人達が少しでも少なくなるといいなぁと思う。
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| May15,
Saturday (sunny) |
昨日はモノクロ写真を現像して一日が終わってしまったのだけど、今日はカラーフィルムをお店に出しに久々に近くのバスに乗った。
そこで今まではそんなに気にしていなかったのだけど、改めてスペイン語ばかりが聞こえてくることに気がついた。
N.Y.
ボストン、メイン州と、北に行くに従ってアジア人を含め、ヒスパニック系やアフリカン・アメリカンの人達が見られなくなっていたし、スペイン語を話す人も少なかったのだけど、D.C.均衡から南にいくに従っては本当にヒスパニック系が増えているそうだ。
そして彼らのほとんどは英語を話さず、母国語のスペイン語で話している。
ボストンでSueが、今やアメリカの人口の60%がスペイン語を話すのだと言っていた。
世界的な見地からしてもスペイン語を話す人の占める割合は大きいと思う。
私も学生時代は英語の次の選択科目としてスペイン語をとっていたのだけど、先生がとても甘かったこともあり手を抜いていた。
もう少し真剣に勉強しておけばよかったと、今更悔やんでいる。
公用語が英語からスペイン語に入れ替わる...なんてことは恐らく無いと思うけど、アメリカでのヒスパニック系のパワーには目を見張るものがあると思う。
ひと昔はアフリカン・アメリカンが主にしていた仕事は、今見事にヒスパニック系の人々の仕事に代わっている。
また、N.Y.の自由の女神の中で、『年々caucasianの人口がアメリカから減ってきている』というデータが展示されていた。
GeorgeとSueは、“自分達はヨーロッパ的な考え方なので、それが時代の流れならいいと思う”と言っていた。
私は、自分が生きてきたたった1/3世紀の間でも、こんなに変化がある世の中の流れに驚いてしまったことと、きっと自分の生涯で見る世界っていうのは、歴史の時間の中ではほんのひとコマの状態でしかないのだろうなぁ...なんて、ただただ感慨深くなってしまうこの頃だった。
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| May13,
Thursday (sunny) |
今日はInternational Center of
Photographyという写真だけが展示されているギャラリーに行った。
イラクでの戦争写真の展示だった。
今はカメラもハイテク化とデジタル化が進んでいるので、これまでと比べてもよりタイムリーで連続的な写真が送信されてくるのだと解説が書かれていた。
確かに写真の横で流されていたビデオフィルムからは、1秒単位で撮られた写真が連続で映し出されていて、現場の人々の緊迫した状況が強く伝わってきた。
と同時に、メディアが進むにつれて感覚が麻痺し、『戦争』という状態がいつもフレームの向こう側の出来事として、何も感じ得なくなってしまうような危機感を覚えた。
夕方5時のバスに乗り、夜9:30にD.C.についた。
とても疲れていたので、帰宅後はすぐに眠ってしまった。
この1週間の旅行は、とても充実していて楽しかった。
ありがとう。
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| May12,
Wednesday (sunny→shower→sunny) |

ブロードウェイ、格安チケットボックス
standing
ovation
Simbaの再現イラスト by Yoshino
N.Y.で初めて観たブロードウェイ・ミュージカルは『Miss
Saigon』という、ベトナム戦争時代のアメリカ兵とベトナム人女性の悲しいラブストーリーだった。
今思うと、最初に観たミュージカルがそれだったことは、とてもラッキーだったと思う。
私は心から感動して、舞台が終わっても涙が止まらずしばらく動けなかったことを覚えている。
どうしても父に観せてあげたくて、その為に父とN.Y.に来たことがあるほどだった。
舞台を見終えた父も私と全く同じリアクションで、しばらく涙をこらえて固まっていた。
だからN.Y.に来ると、感動をわけてもらう為にミュージカルに行かずにはいられなくなってしまった。
以降、『レ・ミゼラブル』そして『AIDA』を観たのだけど、残念なことに私の中では今ひとつだった。
折角N.Y.まで来てブロードウェイを観るからには、後悔しないものを観たかった。
私はこれでハズレることはないだろうと、今回は『Lion
King』を選んでみた。
ほとんどのミュージカルは、街の中心地にある“tkts”と書かれたブースに行くと、安くチケットが売られているのだけど、ライオンキングに限っては値引きチケットは無かった。
そして窓口に買いに行くと、$85または$100の席しか空いておらず、$15の差なら間近で観たいと思い、奮発して$100の席を購入した。
それだけ期待が大きかった。
午後2時からの舞台だったせいか、劇場は子供で溢れていた。
ワクワクして席につくと正面の席に半端でなく背の高い男の人が座りギョッとした。
み、見えないではないか。
“まあ仕方がないか...”と気を取り直していると、真後ろに半端でなく声が大きな女性が座った。
う〜ん、なんか嫌な予感がするなぁと思いつつも舞台は始まったのだった。
ライオンキングは最初から、動物のいでたちをしたキャストらが客席の後ろから登場するのだけど、後ろの女性は"Oh,
my god! Oh, my god! Look, what they've done! OH, MY GO〜D!!"
と叫び続けていた。
そして音楽がクライマックスを迎え、ライオンキングの主人公の赤ちゃんSimbaが、あらゆる動物達から見上げられながら天に掲げられる最初の場面で、私は完全に力を失ってしまった。
それは小さなライオンのぬいぐるみなのだけど、どう見ても感動を誘うものではなく、笑っているキツネにしか見えなかったからだ。
私はここで初めて“あぁ、ディズニーのカラーを前面に打ち出していて、子供向けなんだな〜”と悟った。
ちょっと今回は辛口になってしまうのだけど、ダンサー達は身体が固く揃っておらず、歌もそれほど上手ではなく残念だった。
終わりの方になると、子供達の“I don't want to see this...”という声が前後から聞こえてきていた。
し、しかしである。
舞台が終わって一旦幕が降り、再度幕が上ると出演者全員がお辞儀をするのだけど、拍手をしていた客席の人々は徐々に立ち上がり、スタンディング・オベーションとなっていた。
私はその状況に感動してしまい、変な満足感で劇場を去ることができたのだけど、やっぱり$100は痛く悔やまれる...。
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| May11,
Tuesday (sunny→shower→sunny) |
夜8時からのバレイを見に行った。
昨日チケットを購入するためシアター近辺を歩いている時に、ウォークマンの音楽に合わせて若い男性がバレイの振りの練習をしながら道を歩いていた。
場所によっては滑稽に見えてしまいがちなそんな光景も、N.Y.の街ではしっくり馴染んでいて、柔らかな手の動きが優雅でとても綺麗だった。
バレイを学びにN.Y.に来ているのか、プロとして舞台に上がっているのかはわからないけど、彼のような人達が夢を抱いて集結しているN.Y.はとても魅力的だと思う。
今回が私にとって人生で初めて観るバレイの舞台だったのだけど、想像していたものと違っていてそれが返って新鮮な感動だった。
クラシックの生のオーケストラが舞台の下で演奏され、その曲とバレリーナ達の動きだけで、見事に登場人物の性格や感情を表現していた。
4篇ほどの全く異なる指向のテーマに分かれていて、ドラマ的なもの、パフォーマンス風に身体を融合して美しさを表現したもの、ユーモアを含め笑いを誘うものなどがあった。
そして私が一番楽しめたのは、ジョージ・ハリスンの音楽に合わせて軽快にバレイを踊る、現代風にアレンジされたものだった。
バレリーナたちの身体の柔らかさと、動きの美しさに魅了されてしまった夜だった。
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| May10,
Monday (sunny→shower→sunny) |
朝Sueが勤務先の学校に出かける時と同じ時間に家を出た。
Georgeがバスのターミナルまで車で送ってくれたのだけど、車を降りる時に“バスの中で食べてください”と手作りのランチボックスを手渡してくれた。スターバックスの紙袋の中にはベーグルと、チョコレート、オレンジジュースにパイナップル、そして玄米茶のお茶の葉がラップに包んで入っていた。
Georgeは、“日本に行った時に見た『駅弁』には、必ずびっくりさせられるものが入っていました”と笑って言った。
なんだか嬉しくてジーンとしてしまった。
ボストンは本当に古き良き都市で、憧れてしまうほど素敵な場所だった。
バスで3時間半でN.Y.に到着した。
ボストンとは全く異なった雰囲気を持つ街に改めて驚きを感じた。
世界が凝縮されたような人種のルツボという感じで、街はいつも刺激的だ。
N.Y.ではカメラを持っていつもとにかく歩いているのだけど、そうすると何本フィルムがあっても足りないといった感じになる。
そこで暮らす人々の顔は常にそれぞれの人生を表していて、そびえ立つビル群の中で交じり合って暮らしているような気がする。
地下鉄の電車が昔に比べて随分明るく綺麗になっていたことに驚いたのだけど、ニュースではセントラルパークで露出狂+レイプ未遂が相次いでいると報じていた。
N.Y.のホテルは大抵が高いけど、その中でも格安でしかも比較的綺麗なお薦めのホテルが3つある。
トイレとシャワーは他の部屋に滞在している人たちと共有だけど、清潔で混み合うこともあまりないのでご参考になれば嬉しいです。
(価格は一部屋の価格で、一人いくらというものではありません。)
* Big
Apple Hostel (119West 45th Street)
立地はタイムズスクエアのすぐ近くで、ミュージカルを見るのにとても便利!
ホステルだけど、ダブルやツインなら充分落ち着けます。
http://www.bigapplehostel.com/
* Habitat Hotel New York (130 East 57th
Street)
都会的な雰囲気のホテルで、観光名所に行くのに便利な立地です
http://www.habitathotelny.com/index.cfm
* Hotel Belleclair New York (250 West
77th Street)
今回泊まったホテルなのですが、セントラルパークに近く、タイムズスクエアに向かって歩く道にはレストランやニューヨークらしいお店が並んでいます。
部屋はとても広く快適です。
正式なサイトが見つからなかったのですが...
http://www.orbitz.com/App/ViewSpecificHotelLP?hostSystem=OMH&chainCode=UI&propId=28189&semsource=goto&semkeyword=belleclaire+hotel+new+york
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| May9,
Sunday (sunny) |

breakfast
American
Bison (Buffalo) dream
catcher & Bison's hair a jellyfish
ベッドの寝心地は最高で、朝起きたのは10時頃だった。
テラスではSueがコーヒーを飲んでいて、私は玄米茶を飲んだのだけど本当に美味しかった。
キツツキが木をつつく“コンコンコン”という音が林に響いていた。
思えば本当にキツツキの音を聞いたのは、生まれて初めてだった。
tree houseから少し離れたところには専用のトイレがあるのだけど、とても清潔で無臭なことに驚いた。
洋式トイレなのだけど、下はとても深くまで掘られており、用が済むと足元に置かれている缶に入っている土を小さなシャベルですくって、上からかけるように指示が書かれていた。
“トイレが清潔ですね” とGeorgeとSueに言うととても喜び、あの土らしきものは土ではなく、コーヒーの粉と木のおが屑を混ぜたものだと教えてくれた。
それは単に排泄物を土に埋めるだけではなく、自然に循環させる働きもするとのことだった。
少し離れたところにある建設中のtree
houseは、背が高くなり天井が低く感じているRussell用に新たに造っているのだそうで、Russell自身に造らせているとのことだった。
またキッチン専用の建物も建設予定だというので、“ジョージのキングダムになりそうだね”と言ったら、Sueはそのとうりだねと言って笑っていた。
Sueが昨夜"ミャーン"と鳴いていたのは、cat
birdではないかと、鳥の本を持ってきて言った。
猫のような鳴き声だとのことで、写真には私が見たあの茶色い小鳥が写っていた。
ボストンへの帰り道、車から眺める景色に、地面から直接屋根になっている家があった。
Georgeが“建てている途中でお金がなくなってしまい屋根を造ってしまったのでしょう”
というので冗談かと思ったら、昔は本当にそういう人々がいたとのことだった。
お金が貯まると屋根を外し、地下室の上についには家を建て、また屋根を置くのだそう。
それもアメリカらしいなぁと思った。
それからアメリカバイソンの農場にも立ち寄った。
そこのオーナーの男性はとても熱く、熱心にバッファローについて語ってくれた。
バッファローはとても頭がいいとのことなのだけど、正直どういう言葉で形容するべきなのかが判らずにいた。
オーナーはいわゆるバッファローのブリーダーとのことで、殺生をして売るということではないらしい。
Sueが、“They're so beautiful”
と言った時に初めて、“あぁ、『美しい』
という位置づけなんだな”
と納得してしまった。
小さなお土産やさんも経営していて、私はそこで"Dream
Catcher"という手作りの綺麗なお守りを買った。
くもの巣状に編まれた隙間から、悪運はシャットアウトして、良運だけを通すのだそうで、通常は揺りかごの上に飾るのだそうだ。
Georgeはバッファローのビーフジャーキーを購入し、皆で食べたのだけどとても美味しかった。
オーナーは私に“バッファローの毛”をおまけに付けてくれたのだけど、気持ちが嬉しかった。
ボストンの街に着き、水族館を見たかったので途中で車から降ろしてもらった。
水族館は大好きだ。 特に興味があるjellyfishがたくさんいて、私は夢中で眺めていた。
“くらげ”とあなどるなかれ。
透明な体の中が点滅するライトになっている種類もいたりして、とても不思議な生物だと思う。
かと言って、24枚フィルムをクラゲに使い切ってしまったのも後から考えるとどうかと思うのだけど...
“夕食に何を食べたの?”と帰宅してからGeorgeとSueに聞かれたので、“ベーグル”と言うと、Sueは、“もうすぐユダヤ人になれるね”
と笑った。
私が不思議そうな顔をすると、“ベーグルはジューイッシュの食べ物なのよ”と嬉しそうに教えてくれた。
この数日間確かにベーグルにハマっていた。
私はこの2日間のおもてなしに心からのお礼を言って、今日を終えた。
明日はN.Y.に行く予定だ。
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| May8,
Saturday (sunny) morning〜afternoon
(cause it's too long!) |

アピィ tree house!
inside of the tree house
朝8時、猫のアピィが“ミャーォ”と起こしてくれた。
Georgeが造ったtree houseに行く為のブランチ用に、クリームチーズとサーモンを挟んだベーグルをおのおの作り、コーヒーを飲んで出発した。
tree houseはボストンから北に3時間ほど車で走らせたところのメイン州にある。
ボストンの大通り沿いを走っている途中、あるビルの上にGeorgeが手がけた美味しそうなスパゲティの写真看板があった。
Georgeはもの静かで、いつも優しくほほ笑んでいるような人なのだけど、Sueは話をするのが大好きで楽しい人だ。
ユダヤ系アメリカ人なので、政治や歴史についても熱心に話してくれる。
息子さんのRussellは学校の用事でtree houseには行かなかったのだけど、静かに本を読んでいる優しい少年だった。
7年前にテレビが壊れてからというもの、テレビ無しの生活となったそうで、以来Russellは読書家になったとのことだった。
ヘミングウェイを今日は読んでいた。
ボストンの学生の90%が大学に進学するのだそうで、どの家族も教育には熱心なようだ。
SueもRussellの言動や交友関係、宿題などに、とても厳しいチェックを入れていた。
だからかどうかは分らないけど、Russellの本当に好きな本は“ファンタジー”なのだとGeorgeが教えてくれた。
こちらの学生は夏休みには1ヶ月ほどのサマーキャンプに参加する人が多いのだそうだ。
Russellも何度かキャンプ生活を送っているうちに、夜の寒さに寝袋も無く外で暮らす人々の辛さを知ったことがきっかけで、自分でいくつかの寝袋を作りホームレスの人に配るというボランティア活動を続けている。
仲間も何人かいるそうだ。
2時間ほど北に走るとマサチューセツ州からメイン州になった。
メイン州というと、灯台、岸壁、ロブスターにメイプルシロップといったイメージがあったのだけど、緑の山々や小川もとても美しかった。
さらに1時間ほど走り、ほとんど民家は見られなくなり、やがて小道に入っていった。
車を降りて獣道を5分ほど分け入って歩くと、ついにそこにtree
houseを見た。
地上5mくらいのところにある小さな家は、まさに人間用のバードハウスのようだった。
2つの大きな木を柱に土台が置かれ、その上に家が建築されていた。
George&Sue用とRussell用ということで2つのtree houseが少し離れて建っていた。
すべて手造りの木のらせん階段を登り家の中に入ると、完璧な部屋が用意されていた。
屋根から雨水を貯めておくタンクからは、洗顔用とトイレには充分な水が得られ、暖房には薪でたく暖炉が置かれていた。
白樺の木で作ったベッド脇には、Sueが造った美しいステンドグラスの窓があり、屋根の一部には長方形の窓がはめられていて、満月の夜にはベッドから正面に眺められるように造られていた。
照明はロウソクの灯りのみ。
寝る前に消すよう指示があった。
外装に1年、内装・設備にさらに1年をかけて1戸のtree
houseを造ったのだそう。 Georgeが本業の合間に一人で造ったのだからスゴイ!
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| May8,
Saturday (sunny) evening
(cause it's too long!) |
(長いので、8日の日記を2つに分けてみました。)m(__)m
林の丘から見た景色
夕食の材料
できたてポップコーン
夕食は先ず辺りに落ちている小枝を集めることから始まった。
Sueは私達が集めた小枝を短いものから三角形に組み立て、大きな炉を作った。
アルミホイルにオリーブオイルとチキン、野菜、塩・コショウを入れて包んだものを、Georgeが火の中に入れて調理してくれた。
あきれるほどシンプルなのに、驚くほど美味しかった。
食後にはSueが“マシュマロ食べる?”と聞くので “Sure!”と言うと、Georgeが小枝の先をナイフで削り始めた。
“木の先がグリーンだと燃えにくいのよ”とSueは言い、マシュマロを小枝の先に刺した。
Georgeはマシュマロの表面が茶色くなるように丁寧に火であぶってから、ビスケットにハーシーズの板チョコと焼きたてのマシュマロを挟んで私にくれた。
... 美味しい〜!
キャンプではお馴染みのレシピらしいのだが、それは本当に美味しかった。
Sueは“これが私のやり方よ”
といい、マシュマロを火だるまにしてまっくろ焦げの状態で“It's
easy & GOOD!" と言って食べていた。
“おいおい、健康に大丈夫ですか?”と思ったけど、うまく茶色にして焼くのは意外に難しく手間がかかり、最後には私も真っ黒焦げのマシュマロサンドをバクバク食べていた。
食後に火を囲んでいると、"ミャーン"という小さな、でもはっきりした鳴き声が聞こえた。
猫!?かと思ったのだけど、振り返ると茶色い小鳥が地面に立ってこちらを見ているだけだった。
到着してしばらくは急な来訪者に鳥達も驚いていたのか、林はシーンと静まり返っていたのだけど、辺りが薄暗くなる頃には様々な鳥の鳴き声が響いていた。
Georgeが、“ここでこうやって全ての作業が終わり、火にあたりくつろいでいる時と、朝が来てtree
houseのデッキにあるイスに座りコーヒーを飲んでいる時が、一番好きなひと時なんだ”
と静かに笑って言った。
焚き火の音と、いくつかの鳥の声、そしてフクロウの鳴き声しか聞こえないこの大自然の空間...
確かにこんなに贅沢な生き方の選択ってあるだろうか?
と私は感動していた。
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| May7,
Friday (sunny) |

高校生の路上オーケストラ
delicious ethnic
cuisine
Sue & George
夜10時発のGreyhoundバスに乗って、深夜2:30にはニューヨークで一旦乗換えがあった。
薄暗い待合所のイスは全て熟睡している人で埋まり、目がまだ冴えていた私からすると異様な光景だった。
口を開けて大きないびきをかいている男の人、ギターを胸にセリフらしき言葉を時折つぶやく男性など、見知らぬ人どうし、隣の人に寄り添い、寄り添われて眠っていた。
駅員らしき人が、大いびきをかいていた男の人に“young
ladyが席を探しているので少し席をあけてくれませんか?”
と声をかけると、いびきの男性は "Su...Sure"と言って横に少し動き、また眠ってしまった。
やがて駅員は、一人ブツブツ文句を言い続けるおばあさんを連れてきてその席に座らせた。
ボストンには朝7:30に到着した。
スーの学校での仕事は午後2時半に終わるので、それまではボストンの街をゆっくりと歩いてみた。
スーがメールでボストンの街はとても素敵なのだと何度も書いていたので楽しみにしていたのだけど、確かにこの街はミシガン州ともD.C.とも全く違った雰囲気を持っていて魅力的だった。
街全体が明るく活気に満ちていて、まるでヒロ・ヤマガタが描く絵のようだった。
ハーバード大学やケンブリッジ大学を始めとした各大学が60以上あり、短大等を含めると何百という学校が集まっているという。
そのため、街の随所には大学の図書館や展示場、ジムなどが点在しており、まさに若者で溢れた学園都市だった。
街の平均年齢が26歳だとのことで、あらゆるショップで働いているのもほとんどがアルバイトの学生。
そして何と言っても本当に綺麗な女性が多く、男性からしたらきっと天国のような場所ではないかと思ってしまった。
新鮮な野菜や魚を売るマーケットや、ブティックやレストランが並ぶ古くて美しい街並みを歩き、ボストン・コモンという大きな公園で芝生に横になった。
視界が全て青い空になり、少し眠ってしまった。
3:00p.m.に路上電車に乗ってGeorgeとSueの家がある最寄り駅
"Washington Square"に到着すると、ベンチに座ってSueが待っていてくれた。
とても嬉しくて強く抱きしめてしまった。
家に案内してもらい、アピィとテニスという2匹の可愛い猫が出迎えてくれた。
そしてまもなくGeorgeと16歳の息子さんRussellが帰宅し久しぶりにいろいろな話をした。
Georgeは、昔お世話になったホームステイ先のおじいさんに似てきていたのでなんだか嬉しかった。
夜はスポンジのような生地でいろいろな食材を挟んで食べるエスニックレストランに連れて行ってもらい食事をしたあと、ボストンの夜の街を皆で散歩した。
金曜日の夜のためか、どの店もオープンテラスまでいっぱいに埋まり、たくさんの人がワインや食事を愉しんでいた。
Georgeは途中、世界の茶葉を扱うショップに寄り、玄米茶葉を少し、明日tree
houseに持っていくために買ってくれた。 とても素敵な夜だった。
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| May6,
Thursday (sunny) |
高校生の時にミシガン州に一年間留学していた時の、ホームステイ先のおじいさんとおばあさんはもう他界していないのだけど、その娘さんと息子さんのご家族とはまだ連絡を取り合っている。
一度日本にも来てくれたことがあり、相撲の春場所を見に両国に出かけたり、東銀座の歌舞伎座に歌舞伎を見に行ったりした。
"しゃぶしゃぶ"を珍しそうに食べていたことや、満員電車を体験して驚いていたこと、それに“日本で聞いた雨の音が情緒的だった”と言ってくれたことなどが、懐かしく思い出される...。
息子さんご夫婦はマサチューセツ州に暮らしているのだけど、先月奥さんからメールが届いたので、しばらくアメリカに滞在していることを伝えた。
メールの返事に書かれていた、“ボストンまで電車で7時間なのだから訪ねてきてください”という言葉に素直に甘えて、突然なのだけど訪ねて行くことにした。
相変わらず、節約モードということで夜行バスで行くことになり、本日夜10時発で、ボストンに明朝7:30に到着予定。
息子さん夫婦は現在おそらく48歳くらいで、息子さんはジョージ、奥さんはスーさんという。
ジョージの職業は広告写真用の食品を新鮮で美味しく見せるためのプロで、日本でも彼の手がけた有名ドーナッツ会社のポスターが貼られていた。
奥さんはキルトを自宅で教えていることと、小学校の臨時教師を兼ねている。
ジョージはボストンから車で3時間のところにあるメイン州に、“木の上の家”を建ててしまい、そこにも連れて行ってくれるということになった。
ボストン...
かって夢中で見ていた、アリーのドラマの場所ではないかっ。
それに京都の姉妹都市でもあるとのこと。
大好きな猫も2匹飼っているらしい。
なんだかとっても楽しそう!
1週間ほど日記が書けなくなるかと思いますが、写真とともにtreasure
huntingしてきたいと思いますので、是非また覗いてみてくださいね!
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| May5,
Wednesday (cloudy→shower→sunny) |

my favorite book store
日本ではゴールデン・ウィーク真っ只中だったこの数日間。
天気が芳しくなかったことも手伝って、なんとなく私もの〜んびりモードで過ごしていた。
家のすぐ裏には中学校があり、テニスコートが6面ほどある。
別の方角に少し歩いたところにも公共のテニスコートとバスケットリングがあって自由に使えるので、体力が鈍ってくるとテニスをしていた。
バスケットリングにはいつも子供が集まり遊んでいるのだけど、テニスはそんなに人気があるわけでもなさそうで使い放題なのが嬉しい。
お陰で少しは上手になった気がする。
電車を利用してD.C.に向かって出かける時には必ず立ち寄ってしまう本屋さんがある。
日本にもあると確かニュースでいつか見た気がするのだけど、スターバックス・コーヒー(以下スタバ)が隣接しており、購入する前の本を自由にテーブルまで持ってきて、コーヒーを飲みながら試読できるようになっている本屋さんだ。
人によっては新しい本を4冊くらいテーブルに積んで、スタバのコーヒーを堪能している。
別にコーヒーを飲みたくない人は、店のいたるところにあるフカフカのソファに座って本が読めるのだ。
そして置いてある本も、子供用の絵本から、写真集、新調本にベストセリングな本など、お洒落で気が利いている。
思えばアメリカでのスタバの勢いもすごいものがある。
スーパーやモールの一角に唐突に店を構えていたりするし、コーヒー豆や粉のパックなどは、スーパーは勿論ガススタンドなどにも並んでいる。
道路標識の中にスタバの標識が混じっているのを見たときにはさすがに驚いた。
天下のスタバ様なのだ。
かく言う私もスタバの大ファンなのだけど...。
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| May2,
Sunday (sunny) |
Dippin' Dots
時々行くモールのフードコートに、"Ice
Cream of the Future" という名前の小さな店があり、ドリンク類やアイスなどが売られている。
そこではフルーツのジュースしか飲んだことが無かったのだけど、よく親子連れが注文している粒々のお菓子が気になっていた。
アメリカで出される食事や飲み物は、だいたいが値段の割には大量なのだけど、アイスクリームに限っては値段相応あるいは値段にくらべて、量が少ないんじゃない?
と思うことが多い。
このお菓子もとても小さなカップで出されるのに値段が$3もして、一番大きなカップでは(それでもそんなに大きくない)$5だった。
よく親子で親は小カップでよしとしたいのに、子供がダダをこねてしぶしぶ大カップを買う光景を見かける。
それでもこのスタンド店では一番売れていて、私もついに買って食べてみた。
一見チョコレートのように見えたそれは、実はアイスクリームだった。
バナナやストロベリー、それにチョコレートが口の中で溶けるような食感で、とても美味しかった。
スプーンですくって食べるのだけど、うっかりするとポロポロ落ちてしまう。
ちょっと気になったので帰宅してからネットで調べてみると、フランチャイズ店として日本を含め世界各地にも進出しているアイスだった。
アメリカの微生物学者カート・ジョーンズ氏が80年代に開発したもので、新鮮な材料を超低温で急速冷凍したアイスクリームなのだそうだ。
低カロリーのアイスとしても人気があるのだそうで、もう少し値段がお手ごろになれば通ってしまうのになぁ。
http://www.dippindots.com
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| May1,
Saturday (sunny) |

25cent
coins
Tennessee-music heritage-
アメリカの25セントコインは、2008年まで各州、各都市、各名所によって違う柄で発行されており、私はこちらに来てから集め始めている。
各コインにはそれぞれの場所を象徴するような絵や文句が彫られており、一旦集めだしたらとても面白くなってしまった。
例えばアラバマ州のコインにはヘレン・ケラーの絵で、"spirit
of courage"
と彫られており、5大湖のうち3つの湖と隣接するミシガン州のコインには、湖と州の絵に"great
lakes state"と彫られていた。
それぞれのコインが全米各地から生まれ、人から人に渡って今メリーランド州にいる私の手元まで届いたのだと考えるとちょっと嬉しさも増してしまう。
初めての柄を見たときの感動は意外に大きくて思わず童心に帰ってしまう。
コレクターは他にもたくさんいるようで、通信販売で売られていたり、郵便局で切手と一緒に売られていたりもするらしい。
本屋さんには専用のコインケースも売っているのだそう。
購入してまで集めようとは思わないので、自然に手元にとどいたものだけを集めていこうと思う。
各土地のコインはおのおの毎年デザインが変わっているけど、いったいいくつの異なる柄のクォーターが存在するのかなぁ?!
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